■ 2-22 ■ |
「亮っ!」 早朝七時過ぎ。 顔色をなくしたシュラが医療棟集中治療室に飛び込んできたときには、既に医師団は解散した後であった。 点滴の落滴速度を調節していたレオンが、唇を窄ませてシュラに静寂を促す。 「シーッ。やっと小康状態に入った所なんだ、静かにしてくれ」 「あ、ああ、すまん」 シュラはそっと扉を閉じると、 「近づいていいか?」 と今度は小声でレオンに伺いを立てていた。 「うん、でも起こさないようにしてあげて。プラムのベルカーノでどうにか持ち直している状況だ。とにかく今は休息と、体力の回復が一番大事だから――」 「リモーネも来たのか」 「一時は心肺停止まで行ったからね。私の力じゃ無理だった。ノーヴィスがずっと救急措置をとっていてくれたから、随分助かったとは彼女は言ってたけど。――正直、あの状況を見た瞬間、私の心臓も止まりそうだったよ」 見下ろした亮は、真っ白のシーツに包まれて、小さな寝息を立てている。 「怪我の具合は? 見たところ綺麗な顔をしているが」 「ああ、外見はね。でも内臓へのダメージが酷い。血中のGMD濃度も異様な数値になってるし、足の爪が半分以上剥がされてて――」 亮の病状を続けようとするレオンへ手を挙げ、シュラはその先を遮った。 「もういい。これ以上聞くと、ライラックをぶち殺しに飛び出して行きそうになる」 「私はぜひそうしてもらいたいけどね」 「あいつはもう、第二裁判所の連中に連行されてっちまったよ。昨夜の内だそうだ。転生刑は免れないだろうな」 「そうか」 レオンは息をつくと、亮の前髪をそっとよけてやる。 「今日ソサイエティの定例会があるんだろ? もしこれでこのことが議題に上がらないようなら、私はクビ覚悟で議会に乗り込むつもりだよ」 「今回は確実だ。セブンス内で違法にGMDが使われたあげく、ゲボが一人死にかけてるんだ。いくらガーネットでもこれ以上無茶な真似はできないさ」 シュラが珍しく真面目な顔でそう語ったとき、再び扉が開いていた。 二人が視線をやると、そこには青い顔をしたノーヴィスが立っている。 「亮さまは!? 亮さまの具合はっ」 「大丈夫だよ。もう心配はない。キミこそ大丈夫なのか? まだ顔色が悪いが――」 あの後、半狂乱のノーヴィスは鎮静剤を打たれ、隣室で眠らされていたと聞いている。医師団の内の一人の措置だが、これが一番いい方法だったのかもしれないと、後から聞かされたレオンは思った。 あのままではノーヴィスの精神が焼き切れてしまいかねない状況だったのだ。 「私は、もう平気です。昨夜は取り乱してしまい、申し訳ありませんでした。肝心なときに亮さまのお側にいられず、私は本当に――」 「いいからこちらへ来て、亮くんの様子を見ていてくれるかな。私たちは少し外で休憩を取ってこようと思う。何かあればナースコールを押してくれればいいから」 苦しげに目を伏せるノーヴィスの言葉を途中で打ち切らせると、レオンは自分の場所をノーヴィスに明け渡す。 ノーヴィスは「はい!」と返事を返すと、亮のベッド際にひざまづき、沈痛な面持ちで亮の寝顔に手を添える。 「亮くんの目が覚めたら、一度呼んでくれる? 点滴は終わり次第おかわりをナースに運んでもらうから」 「はい。わかりました。ドクター、本当に、本当に、ありがとうございました」 何度も何度も涙を浮かべながら礼を言うノーヴィスに応えつつ、レオンはシュラを連れて部屋を出た。 「お、おい、俺、来たばっかだぜ? もうちょっと亮のそばに居させろよ――」 「おまえはほんっとうに、気が利かない男だな、シュラ。空気を読め」 あのレオンにそう言われて、シュラは不本意感満点顔だ。 「まぁ、そりゃわかるが――、俺だって亮が心配なんだよ。もうちっと、寝顔くらい見せてくれても・・・」 「ふむ。おまえ、あの子と知り合いだったのか。・・・いったいどこで知り合ったんだ?」 不意に、男性的な言い回しなのにも関わらず、したたる色気を隠しきれないアルトボイスが、彼の背後から掛けられる。 医療棟には不似合いなほどのそのお色気ボイスは、シュラにとってとてもよく知ったおなじみの声である。 ギクリと一瞬動きを止めたカウナーツのカラークラウン様は、それでもなんとかゆっくりと振り返っていた。 「よ、よお。おまえ、今朝は家に帰ってくるって言ってなかったか?」 「緊急事態だからな。私も仕事に励んでいるところだ」 そこに立っていたのは長いブルネットの髪を波打たせた、妙齢の女性である。 白衣の胸元は肉感的且つダイナマイトに押し上げられているが、締められた腰はしなやかに細い。 短いタイトスカートから伸びる美しい脚線美が、大きく割られた白衣の前面からちらりと覗いていた。 「それで? 質問の答えは? 答えられたら、可愛い亮くんの寝顔を見せてやってもいいが?」 セクシーな、たっぷりとした赤い唇から生み出される言葉はしかし、マシンガンのようにシュラの全身を打ち抜いていく。 「り、り、リモーネ、落ち着こう。別に俺はやましいことは何一つ、その――」 「答えは?」 笑顔のまま腕を組み、リモーネのハイヒールがカツンと鳴らされる。 その様子を、レオンはフリーズしたまま眺めるしかない。 まさか自分も、早朝からカラークラウンである、ベルカーノ・プラムが病室を訪れるとは思っていなかったのだ。 彼のボスであるプラムとシュラが同棲する恋人同士だと言うことを彼は良く知っていた。 だがシュラを庇おうだとか、どうしたらこの場を切り抜けられるかだとか、そんなことを考える余裕は彼にはない。 レオンが胸の内で唱え続けている言葉は一つ。 (うわ、うわ、うわ、うわぁぁあああ……) だけである。 「・・・・・・・・・・・・・せ、」 「せ?」 「せぇぇえぇ・・・・・・」 「せ?」 「せ――――――――ぶんす」 十五秒の沈黙が落ちた。 「なるほど。――それはそうだな。他にゲボと出会える場所など、私も知らんしな」 意外にも、フフフと軽い調子でリモーネは笑っていた。 それにつられて、タハハとシュラも愛想笑いを被せる。 医療棟の廊下に楽しげな男女の笑い声が響き渡った後、その響きも消えない中、妙に静かにリモーネはこう告げていた。 「後で、話がある」 時間が停止したシュラの前を、リモーネは何事もなかったかのように歩き去り、亮の病室へと入っていく。 「・・・おい、シュラ」 固まったままのシュラの肩をレオンが叩くと、シュラはギシギシと音を軋ませ振り返った。 「俺さぁ。今日の議会が、今世最後の仕事になると思うぜ」 レオンは目頭を熱くしながら、ポンポンと二回、シュラの肩を叩いていた。 「亮くん、具合はどうかなぁ?」 特別病室へ移された亮の元へレオンが訪れると、室内からは楽しげな話し声が聞こえてくる。 明るい日差しが差し込む病室で、亮はベッドの上で身体を起こし、笑顔を見せながらノーヴィスの剥いたリンゴをかじっていた。 「お。おいしそうなリンゴだね」 レオンが近づくとオーバーテーブルの皿から一つ、リンゴの欠片を手に取り、亮がレオンへ差し出す。 「レオン先生も食べる? すっげー甘いよ?」 「ありがと。――具合、だいぶいいみたいだね。お熱も……六度八分、か。良かった。下がってるね」 あの夜から二週間が経過し、亮の身体はすばらしいスピードで回復を見せていた。 医療棟でほぼ面会謝絶になっている今、当然のことながらゲストが亮を訪れることはなく、採血も行われない。 何度かガーネットが訪れることがあったが、それでも亮は大きな動揺を見せることはなかった。 ソサイエティの定例会で、シド=クライヴについて、キルリスト入りが見送られた事が原因かもしれない。 また同時に、快復後、亮のゲストリザーブ許可は亮本人が出すものと、決定されていた。 全てはうまく、レオンやシュラが望んだとおりに転がることとなったのだ。 「良かったね、亮くん。シドのこと、もう心配しないで済みそうで」 もらったリンゴをかじりながら、レオンはノーヴィスの横のパイプ椅子に腰を下ろす。 「――え、うん。そうだね。良かった」 亮はレオンの言葉が聞き取りにくかったのか、少し間を開けると、慌てたように頷いていた。 「し……シドが、また、ちゃんと普通に事務所で働けるようになって、オレ、安心した」 「だから今後は無茶は禁物だよ? 嫌なことは全部断ればいい。そうすればシドと次に会うときだって――」 「も、もうその話、やめにしない?」 言いかけたレオンの言葉を、亮は少し強めの調子で打ち切っていた。 突然のことに、驚いたようにレオンが目を丸くする。 「もう、会えない人のこと、言ってもしょうがないし。そ、それより、オレ、いつセブンスに戻れる? 明日とか、無理?」 「あ、ああ、そっか。ごめんね。私が無神経だったかな。――そうだね、亮くんが自室の方が落ち着くというなら、明日にでも帰ってもらっていいかもしれないね。しばらくは、朝晩点滴を打ちに回診に回ることになるだろうけど」 レオンは戸惑いを引きずったまま、そう答えていた。 今まであれほど気に掛けていたシドの話題を、そっけないまでに避ける亮の様子が、レオンには意外に感じられてならない。 もちろん、亮の言う通り、好きなようにまた会える相手ではない。 だから亮の言葉の内容は決しておかしなものではないのだが――亮の言動に軽い違和感をレオンは感じていたのだ。 「良かった。早くオレ、帰りたいんだ。ここにいると、カラークラウンの人にも会えないでしょ?」 しかし亮は屈託ない調子で先を続ける。 レオンは先ほど感じた違和感のことを「思い過ごしだ」と、己の中で流し、残ったリンゴを口の中に放り込んでいた。 「会いたい人がいるのかな? 誰? 私が良く知ってる人?」 相手はシュラに決まっている。 そう思うとレオンは少々嫉妬に似た感情がのぼってくるのを感じていた。 シュラへの亮の懐きようはただならぬものがある。 今ではクラウン名ではなく、亮も「シュラ」と彼の本名を呼んでいるほどだ。 亮に「早くセブンスに帰って会いたい」とまで言わしめるシュラに、レオンは許せない憤りを感じていた。 まったく、シドにちくってやろうかと思う。(相手がリモーネでない辺りに、レオンの友達としての誠実さが垣間見える) もちろんシュラに関して、亮は、色気とは縁遠い兄か父親のように慕っているだけであるが――。 しかし、亮はそんなレオンの問いに対し、恥ずかしげに俯くと、目を伏せたまま「ないしょ」と呟いていた。 「え?」 その仕草があまりにも艶っぽく、レオンは目を疑った。 「会いたい人は、ないしょ。も、いいだろぉ、こういうの、オレ、苦手なんだよ」 顔を真っ赤にし、そっぽを向いた亮の様子は、まるで恋する少年そのものである。 「え? え? 亮くん、その人のこと、好きなの? シドじゃなくて?」 気が動転し、思わぬ事を口走るレオン。 「なんでそうなるんだよ、先生っ。オレが好きなのはっ、…………、」 亮の口がすぼめられ、「S」の発音が漏れ掛かる。 「っ、うわっ、あぶね。――だから、恥ずかしいから言わないよっ!!」 亮は真っ赤になったままバスンと枕に顔を埋めると、布団の上でバタ足だ。 「っ、コラコラ、また傷が開いたらどうするの! 暴れちゃダメだよ」 剥がされた亮の爪はようやく薄皮が張ってはいるものの、少しの衝撃ですぐに血が滲んでしまう。 この部分の傷に関しては爪が再生するまで時間が掛かるため、完治にはまだ二ヶ月以上必要だとされている。 「亮さま、またお熱が上がりますよ。お顔、あげてください」 ノーヴィスに言われ、亮はぷはっと顔を上げると、再び大人しくベッドへ横になる。 「むう〜、だってさぁ」 「明日お部屋へ戻れなくなったらどうします? 静かに目を閉じて」 「……うん、わかった。ごめん」 「帰ったら、亮さまの大好きなオムライス作りましょうね」 「ほんとに!?」 仲むつまじくやりはじめた主従を置いて、レオンは呆然とした表情で部屋を後にしていた。 医療棟の廊下を歩きながら、独り言を呟き続ける。 「好きなのは――って、どういうことだよ。シュラの奴、まさか一線を越えちゃってたってことか!? あ、あんだけいいお兄さんぶっといて、シドのこと散々ムッツリどスケベだなんてこき下ろしといて」 考えてみれば思い当たる節がある。 別に自分の名前をわざわざ本名で呼ばせる必要などないじゃないか。亮の身を助けるためだけなら、クラウン名で十分だ。 リモーネに亮との関係を問い詰められているときも、必要以上に挙動不審だった。 やましいことがないなら、もっと人間堂々としているものだ。 ここ最近あいつの機嫌が悪いのも、きっと亮の元へ通えないことが原因でいわゆる「溜まってる」という状況なのだろう。 「――溜まってるって……おいおいおいおい」 自分で考えておいて、口に出してみると恐ろしく向かっ腹が立ってくる。 「あんの、変態オヤジ――」 友人の相手を寝取るとは、信じられない暴挙だ。しかも相手はまだ子供である。 あんな境遇で追い詰められた子供を、甘い言葉とオヤジのテクで丸め込んで、本当に心底、至上最低の男だ。 「ゆるっっっさんっっっ」 往年の時代劇俳優もかくやという台詞回しで、レオンは通路の真ん中に仁王立ちである。 通り過ぎる同僚達が、不思議そうな目でレオンをちら見していった。 |