■ 2-44 ■ |
目を覚ました亮はノーヴィスの姿を求めて泣き続ける。 亮の睡眠周期は不規則で、情緒の不安定から食事も取りたがらない。 それをなだめては治療や食事をさせ、身の回りのこと一般を施してやるのがシドの一日の仕事だ。 亮が泣き疲れて眠るまでつきっきりで相手をし、腕の中で寝息を立て始めるとベッドへ少年の身体を横たえる。 そんな時間がまる二日過ぎた。 深夜二時を回り、涙も枯れ果てようやく眠りについた亮の額にキスを落とすと、シドはベッド横のパイプ椅子に腰を降ろす。 ノーヴィスが買ってくれたというタオルケットを大事そうに抱え、亮はしずやかに呼吸を繰り返している。 頬を濡らす涙の後をぬぐってやりながら、シドは小さく息を吐いていた。 良く助け出せたものだと思う。 亮がゲボでなければ、あの瞬間、亮の身体もバイオレットと共に凍結し、粉塵となって消え去っていただろう。 いや、たとえゲボであっても並みの能力では、あの一撃に耐えられることはなかったかもしれない。 あそこから亮の身をシドが助け出したことは確かだが、亮の命を救ったのは亮自身の持つ強力なゲボ能力であることも事実なのだ。 「また――迎えが遅くなってしまったな」 ぽつりと呟くと、額に掛かった前髪をそっとよけてやる。 その時、密やかに二度、ノックの音が室内に届けられた。 シドが振り返ると、消灯後の緩やかな明かりの中、一人の女性が足音を立てず歩み入ってくるところである。 琥珀の瞳が僅かに厳しさを帯びる。 「トオルは眠りましたか、ヴェルミリオ」 「――ああ」 扉を閉めると、そっけない対応のシドへ向かい女は頷いていた。 「何の用だ、ガーネット」 「話があるといったでしょう」 ガーネットはいつも通りピンと背筋を伸ばしたまま近づくと、シドの傍らに立ち、亮の寝顔を眺め降ろす。 「全てが内密に行われている今、あなたを執務室に呼ぶわけにも行きません。ここで――話を済ませましょう」 「言い訳か、謝罪か? ゲボの処遇に関してあんたはもっと公正な人物だと思っていたが――どちらにせよ、俺に話すことはない」 今すぐ立ち去れというオーラを全身から立ち上らせるシドに対し、それでもガーネットは引く気配を見せない。 彼女は珍しく一度苦しげに瞼を伏せると、震える息を吐き言葉をつないでいた。 「ヴェルミリオ。あなたはなぜこの子が命を失わなかったのか、それがわかりますか?」 「――亮のゲボの血が強かったからだ。あんたに疎んじられるほどにな」 「それは違います。確かにこの子の能力の強さは、あなたとバイオレットの戦闘から身を守る役には立ったでしょう。ですが、問題はそこではありません。――この子はその前にブラッドリキッドを飲まされている」 ガーネットの言わんとすることを悟り、シドは黙したままゲボの長を見上げる。 「もしこの子がゲボなのだとしたら、この子はその時点で命を落として然るべきです」 「何が、言いたい」 問いかけたシドの声に、ガーネットはシドへ向けて正面から視線を落とした。 「トオルは――、諒子と……秀綱の子でしょう? 違いますか?」 「!?」 冷たく氷のようだったシドの眼が、瞬間熱を帯び、僅かに見開かれる。 唐突に聞かされた思いも寄らない名に、シドの思考回路は混乱をきたす。 しかしそんな答えを出さないシドの様子を受け止め、ガーネットは先を続けていた。 「気づいていなかったのですか、ヴェルミリオ。――二人ともあなたにとってゆかりの深い人物のはず。だからこそ、あなたはこの子を手元に置いていたと、私はそう思ったのですが」 「馬鹿な! ソムニア能力が遺伝するなど聞いたこともない。諒子と秀綱、二人のゲボから子供が生まれたとして、その子供である亮までゲボであることなど考えられない話だっ」 抑えた声でありながらも、シドは動揺を隠せない。 『ソムニア能力は遺伝しない』 それは世界の絶対的な理である。 肉体の遺伝子がその子供に伝わっていくのと違い、ソムニア能力はアルマ独自が持っているものであるため、その子が親と同じ能力を有することなど有り得ない話なのだ。 ましてや亮は超希少種であるゲボである。 マナーツなどの一般種であれば偶発的に親と子が同じ能力であることも十分に考えられることだが、亮の場合それには当てはまらない。 だが、亮の母親が『諒子』という名であることは確かであり、本当の父親は誰なのかもわかってはいない。 そのことだけはシドも知る事実だ。 「――二人がゲボであれば、そういったことは有り得ない話でしょう。でも、少なくとも一人はゲボではない」 ガーネットの言葉の意味がわからず、シドは息を詰めたまま眉間にしわを刻む。 「秀綱――あなたの師匠はゲボではないのです」 「ゲボでなかったら何だというんだ。 師匠は確かにゲボ能力で異神を召還し――」 「召還していたのは、古神でしょう? トオルと同じ、他のゲボには類を見ない交渉相手」 古神が珍しい種であることは、シドもわかってはいた。しかし、そこまでレアな相手だとは思っていなかったのだ。 それはシドの良く知るゲボ――秀綱が使役していたため、何度も実物をみていたからである。 だがゲボ種の生きる歴史書であるガーネットには、この交渉相手がいかにレアで有り得ないものであるか恐ろしいほどにわかっているらしかった。 「十二度に渡る長い私の人生の中で、古神を呼ぶ者に会ったのは二度だけ。それは、秀綱とトオル。その二人だけです。そして――秀綱がその召還相手を呼び出せるようになったのは、自ら彼らを選び取り、己をその仕様に書き換えたおかげ」 「――何を……言っている!? ガーネット……」 書き換えた――。自らのアルマを書き換えるという行為。 秀綱はその行為を行ったと、ガーネットはシドにそう言っているのだ。 そんなことは、オートゥハラ能力を有するビアンコにすら不可能だ。 だが、シドの戸惑いを置き去りにし、ガーネットは淡々と、そして遂に結果を述べていた。 「秀綱はゲボではありません。彼は――彼は、ウィルド。二十五番目の能力、ウィルドを持つ者です」 「っ!!」 シドは目を見開きガーネットの白い顔を振り仰ぐと、次に、言葉を失したまま亮の寝顔に視線を移す。 「諒子が秀綱のことを知っていたかどうかはわからない。でも、彼はゲボ能力すら己でデザインしたウィルド能力者であったことは確かです。そしてトオルは彼の父と同じ異神を召還している。だからこそ――」 そこで一度言葉を切ると、ガーネットは苦しげに眉をひそめ亮の顔を見下ろした。 「だからこそ、私はこの子の血を、多く研究局に渡すわけにはいかなかった。ウィルドの血を汲むものだと気づかれるわけにはいかなかったのです。――ゲボ能力が遺伝する可能性がある。この事実がわかれば、理事会はゲボの量産体制に出ようとするでしょう。セブンスには研究局が入り込み、ここは以前にも増した悲惨な実験場と化してしまう」 「セブンスを守るために、亮を犠牲にしたというのか」 「仕方がなかったのです。あからさまに採血を拒めば怪しまれてしまう。他の何者にも相談はできない。だから……、むしろ暴走したゲストによる事故か衰弱でこの子が死んでくれれば――それで今のセブンスは守られる」 「っ!!」 シドは思わず立ち上がると、ガーネットの襟元をつかみ上げていた。 「管理下のゲボが死ねば、あんたも処罰される」 しかしガーネットは怯むことなくシドの顔を見上げる。 「そんなことは当たり前です。――どちらにせよ、私は明日、転生刑を申し出るつもりですから」 シドは大きく息を吐くと力を緩め、ガーネットの身を解放する。 彼女は初めから、自らの命を捨てるつもりで亮に対しあの処遇を課していたということなのか。 そして長い長い過酷なゲボの歴史を見続けてきたガーネットにとって、セブンスを守ることのみが彼女の存在の全てだということなのか。 ゲボ達の未来のための悲壮な決意はしかし、シドには決して受け入れることはできないものだ。 「一つだけ聞きたい。──ならば、あの時なぜ、異界に俺や亮を閉じこめてしまわなかった。あの廊下で俺たちを切り離し、自分一人戻ることもできたはずだ」 「……それは──あなたが来たからですよ」 ぽつりとつぶやかれた言葉の意味がわからず、無言で見返すシドにガーネットは変わらぬ口調で続けた。 「理事会で、亮の身柄は東京へ戻されることに決まりました。 ――ヴェルミリオ。もう二度とこの子をセブンスに入り込ませないで。秀綱に師事したあなたの勤めよ。……亮はあなたが守りなさい」 静かに、しかし凛とした口調でガーネットはシドへ指図していた。 シドはそんなガーネットに「言われずともそうする」といわんばかりに強く視線を返す。 「……、ノーヴィス? ノーヴィス、どこぉ?」 不意にベッドから泣き声が漏れ始める。 シドとガーネットのやりとりに、亮が目を覚ましてしまったらしい。 薄闇の中身体を起こし、不安げに辺りを見回す亮に、シドがすぐさま手をさしのべるが、涙は止まる気配を見せない。 ガーネットはその様子を目を細め眺めていたが、不意に一歩ベッドへ近づくといつも通りの厳しい口調で亮をたしなめていた。 「トオル=ナリサカ。何を泣いているのですか、情けない」 突如聞こえたガーネットの声に、びくりと亮は身体を強ばらせ、思わず涙を止めて声のする方を見上げていた。 「がーねっと、さま……」 怯えを含んだ声でやっとそう言うと、傍らに寄り添うシドの腕へぎゅっとしがみつく。 「ノーヴィスには私の指示で他国の施設での仕事を言いつけました。もうここには居ません。あなたにはもう執事は必要ありませんから」 「っ、ノーヴィス、いないの? ノーヴィス、お仕事? とおる、ノーヴィスヒツヨーあるよぉ」 再び涙がこぼれそうになる亮へ、厳しい口調でガーネットは続ける。 「あなたはセブンスを出るのです。そしてその男の元でソムニアとしての修行を積みなさい。立派なソムニアになれれば、またノーヴィスとも会うことができるでしょう」 「しゅぎょ…、りっぱになると、ノーヴィスにあえる……」 「わかったらもう泣いてはいけません。いつまでも泣いているようなダメソムニアでは、一生ノーヴィスには会えませんよ」 一分の隙もないゲボの長としての言葉に、亮は一度鼻をすすり上げると小さく頷いていた。 そんな亮の頭にそっとガーネットが手をのせる。 「トオル=ナリサカ。強くおなりなさい。それから――あなたにもノーヴィスにも本当に、いえ……」 言いかけた言葉をガーネットは閉じこめた。 そして変わらぬ調子で指示をする。 「明日もきちんと起床して、食事も言われたようにきちんと取るように。いいですね?」 「――はい、がーねっとさま」 必死に涙を堪え顔を上げた亮に、気づかれないほどの微かな笑みを浮かべると、ガーネットは踵を返し部屋を後にする。 亮はぐっと唇をかみしめシドの胸にしがみつく。 ガーネットの言いつけ通り必死に泣くのを我慢しているらしい。 シドは微かに震える亮の髪を優しく撫でながら、ガーネットの白い背を見送っていた。 「どういうつもりだよ、シュラ」 レオンは執務室の扉を開けるやいなや、勇んだ足で怒鳴り込んでいた。 しかし奥のデスクに足を乗せ、だらしなく椅子に背を預けた体勢で資料に目を通していたシュラは、ちらりと視線を向けただけで構わず己の仕事を続ける。 「珍しいな。おまえが本館にまで足を運ぶとは」 くわえ煙草もそのままにしゃべり、ぱらぱらと灰が落ちるが、それすら気に掛けていないようだ。 「何で医療棟に顔を出さない」 そんな友人の対応に不満を隠しきれない様子で、デスク前まで歩み寄ってきたレオンはカウナーツのカラークラウンを見下ろす。 「何でって、ここんところ怪我してねーからな」 「っ、そうじゃないだろ!? 私は、どうして亮くんの所へ顔を出してくれないのかと聞いてるんだ!」 亮が目覚めたあの日以来、レオンは何度もシュラへ医療棟へ足を運ぶように電話を入れている。 しかしその度に「ああ」だの「そのうちな」だの煮え切らない返事をされ、「今は忙しいから」と一方的に切られてしまう。 もう四日もそんな状況が続いていた。 そして今日ついに堪忍袋の緒を切ったレオンは、本館の執務室へ直談判にきたというわけである。 だがいきり立つレオンとは対極に、シュラはいたって泰然とした様子だ。 「もう俺は必要ないだろ。元々亮の身体を休ませる目的で俺はセブンスへ通っていただけだ」 はらりと資料を捲り上げながら、淡々と受け答えをする。 そんな態度もレオンの神経を逆なでし、ついつい声が大きくなってしまうのを止められない。 「――、何度も伝えただろ? 亮くんがシュラに会いたがってるんだよ。ノーヴィスのいない今、あの子は不安なんだ。亮くんはおまえを本当の兄のように慕ってる。だから顔を見せてあの子の支えに――」 「シドがいるだろう」 「シドの記憶が亮くんには戻ってないって言ったじゃないか! あの子にとって今のシドは知らない人だ」 シュラはようやくデスクから足を降ろすと、短くなった煙草を灰皿でもみ消した。 「だからだ。だからオレはおまえの言うとおりにはできねぇ。亮はずっとここにいるワケじゃない。体力が回復すれば東京に戻される。あいつに必要なのは俺じゃない。あのバカだ」 そう言ってこちらへ向けられたシュラの表情に、レオンは言葉をなくす。 ぶっきらぼうな対応とめんどくさそうな話し方はいつも通り違いはなかった。 しかしその青い瞳の内側に、押さえ込まれた激情のような何かがちらちらと見え隠れしていることに、レオンは気づいてしまったのだ。 普通の者では恐らくこうはいかないだろう。 しかし、長年友人をしているレオンには、シュラのいつもと違った様子が露骨なほどはっきりと見えてしまった。 「――シュラ、おまえ」 レオンの言わんとすることがわかったのか、シュラは舌打ちをすると手にした資料をデスクへ放り投げる。 「てめーも俺に何か言いてぇのか。ビアンコも。リモーネも。おまけにおまえも、それぞれ勝手なこと言いやがって」 「っ!? リモーネって――彼女となんかあったの?」 リモーネ=ソルティア。シュラと同棲しているお色気たっぷりなベルカーノ種のカラークラウンである。 思わぬ名前の登場に、レオンは目を丸くした。 「追い出された」 「――は?」 「セブンスに出入りするような男に興味ねぇとよ」 「だって、彼女も何でシュラがセブンスに通ってたか知ってるだろ? 亮くんの悲惨な状況見てきてるんだから――」 「だからだろ?」 シュラの言葉の意味がわからず、レオンが眉を寄せ先を促す。 「俺が亮に手ぇ出してたら、あいつは何も言わなかっただろうな。代わりに一ヶ月は廊下で寝かされたかもしんねーけど」 シュラは深く深くため息を吐くと、己の考えをまとめるようにガシガシと頭を掻いていた。 「変な気まわしやがって。――お陰で俺はここんところ、この部屋が自宅だ」 言われて見回せば、確かに周りにはカップラーメンの器やピザの残飯、ビールやミネラルウォーターの空き瓶が転がりまくり、中央に置かれたソファーには毛布や枕がぐしゃぐしゃにセッティングされている。 ここは伝統あるIICR本部の執務室ではなく、どう見ても独身男の一人部屋だ。 「下には食堂もあるし、ジムには風呂もサウナもある。おまけに勤務時間ぎりぎりまで寝てられるし、生活には困らねぇけどな」 シュラの様子にレオンは先ほどのシュラと負けず劣らずの激しく長いため息を吐く。 改めて自分の鈍さに嫌気がさしていた。 恋人である――いや、あったか――リモーネはともかく、ビアンコにまでシュラの本心を知る先を越されたのである。 「おまえ――、いいのかそれで」 肩の力の抜けきったレオンは、ぽつりとそう問いかける。 シュラは背もたれに身体を投げだし椅子を軋ませると、両眉をくいっと上げて口の端で笑って見せた。 「なんの話だ?」 「今ならあいつと一から勝負できるんだぞ? 白い状態からお互いスタートできるし――」 「そりゃフェアじゃねぇな」 「っ、シュラ――」 「いいんだよ。これで。――あいつは……亮は必ずシドのことを思い出す。俺はそう信じてるからな。亮の血と汗と涙とド根性で守られたあいつの居場所だ。消えちまうはずがない。……夢見させといてくれよ、レオン」 瞳を閉じ、ゆっくりとした口調で語られた友人の言葉に、レオンはこれ以上何も言えず、執務室を後にする。 「まったく……不器用すぎるだろ、人生六度も生きてて――」 廊下を歩きながらレオンの発した呟きは小さかったが、ため息はもう聞こえなかった。 |