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「ああ、こんなに零してしまって、行儀の悪い子だ」 滝沢はかがみ込むと、ぐったりとうなだれ口元から白濁を滴らせた亮の頤をぺろりと舐める。 「少しお勉強が進みましたね。悪い口はこうやってお仕置きされるんですよ、亮さん」 滝沢がすっかり小さく萎れてしまった亮の幼根を弄りながら、耳元で囁いた。 「これからが本番です。次はここをお仕置きしましょうか。それとも――」 骨張った指がすわりと移動すると、亮の淡い窄まりを撫でるように刺激する。 「こちらにしましょうか」 亮の身体が恐怖に強ばった。 滝沢の顔が笑顔に歪む。 その時――。 ――ドンッ! 部屋全体を震わせるような、重たい音が響いていた。 何ごとかと、滝沢は顔に笑顔を張り付けたままぐるりと背後に首を巡らす。 そして滝沢の顔から能面のように表情が消えていく。 ――ドンッ! 再び籠もった音が鳴った。 表情をなくした滝沢の口が、無意識にある名前を漏らす。 「――シド……クライヴ」 空間障壁を用いられた超硬質ガラスの向こうで、一人の男が立っていた。 拳をガラスへ叩き付け凄まじい修羅の形相で立ちつくすその男は、シド=クライヴ。 イザ種の元カラークラウンで、朱の氷神と呼ばれる男。 決して場所を知り得ないこのセラへどうやってこの男が入り込んだのか、滝沢にはわからない。 だが確かにヤツはそこにいた。 シドが拳を振り上げガラスを打つ度に、びりびりと部屋を揺るがす響きが起きる。 研究用の一級設備である超硬質ガラスにこれほど振動を与えることが出来るなど、滝沢の常識にはない。 ガードナーとここを尋ねた折、確認のため何度かガラスへ拳を打ち付けてみたことのある滝沢には信じられない光景だった。 だが同時に、力だけではこの部屋がやぶられることがないこともよくわかっている。 二重になったガラスの間に流し込まれた空間障壁。 これによって準備室とここは完全に分断され、力でどうこうなる問題でもないのだ。 万が一強引に部屋を破ったとしても、流し込まれた空間障壁は一方的に準備室へと流れ込み、部屋自体を煉獄の海へと沈めてしまう。 研究体を守るために仕組まれたこの仕掛けは、滝沢にとってここを難攻不落の城郭に仕立てていた。 「シィ――。……シィっ!!!!」 ぐったりとしていた亮が顔を上げ、ガラスの向こうに立つ男の姿に気づくとパッと瞳に生気が宿る。 近づきたい、助けて、ここに来て、ここに来て、ここに来て! 亮の叫びには悲痛なまでのその想いが封じ込まれていた。 少しでもシドの側に近づこうと、鎖を鳴らして亮の身体が前へ前へと揺すられる。 「――っ!」 ガラスの向こうで、シドも何か叫んだようだった。 だがその音も障壁に遮られ、届くことはない。 「シィっ! シィっ!!!」 ガシャガシャと鎖を揺らし必死に近づこうとする亮の様子に、滝沢の顔に笑みが戻る。 ガラスを叩くばかりでナンバーを入力しない所を見ると、あの男は入室ナンバーまでは知らないのだ。 シド=クライヴは元々IICRの人間だ。当然、この部屋が本部の研究棟にあることもわかっているだろう。 どんなに力業を使おうと、この部屋へ進入することは出来ない。強引に行えばただ自分が煉獄の藻くずと消えるだけだ。それも十二分にわかっていることは容易に予想が付いた。 つまり、あの男はあの場所で、滝沢による亮へのいかがわしい躾を見物するよりほかないのだ。 「亮さん、良かったですね――、シド=クライヴに今から亮さんへの躾を見てもらいましょう。上手にできたら、きっと彼も喜んでくれますよ」 滝沢はシドに亮の姿が見やすいように亮の背後に回ると、壁を背にして少年を抱え上げ、見せつけるように大きく足を開かせていた。 滝沢の手が亮の中心で震える幼いものへ忍びより、ゆっくりと上下に動かし始める。 「ぃゃぁっ、ぁっ、し、しぃっ……」 血を吐かんばかりに燃えさかる眼光でこちらを見据えるシドの様子に、滝沢は溜まらぬ愉悦を覚え、これ見よがしに亮の頬へ吸い付き舌を這わせた。 「ごらんなさい亮さん。彼はこんなに近くで亮さんが泣いているのに助けに来ないじゃないですか。――彼は亮さんが私にこうして躾けられるのを見るために、わざわざ足を運んでくれたんですよ」 耳元で囁いて、亮の中の絶望を再び育てていく。 「さあ、彼が喜ぶように亮さんのここへ、滝沢のものを入れて見せてあげましょうか」 滝沢は足を開かせ抱え上げると、さらけ出された小さな窄まりに己の指の先端を潜り込ませて見せた。 亮の身体がもがくように波打った。 「やぁぁっ、し、シィっ!!! とぉう、いいこに、なる、も、わがまま、いわない、から――、っ、ぇぇぇっ、ごめんな、さぃ、……、ごめ、さぃぃっ」 滝沢は腕の中で抵抗する亮の小さな身体に息を荒げながら、腰をずらして狙いを定める。 大きく左右に切れ込んだ彼の口の端には、白く泡が溜まり息に合わせてひらひらと揺れていた。 「っ、ひはは――、こら、そう、動くな――、いくら暴れても何を言っても、あの男は何も出来ない。あのガラスを破ればあの男は消えてなくなる。煉獄の海に流されて、二度と人には生まれ得ない。亮さんがあの男を呼べば、あの男は世界から消え失せるしかないのです」 抵抗していた亮の動きが止まる。 滝沢が言っていることはよくわからなかった。 だが、シドが世界から消える――、この言葉だけが亮の胸に突き刺さる。 呼び続けていたシドの名が、止まった。 「そうです、いい子だ。あなたが呼んでいいのは、あの男の名ではない」 滝沢は腕の中にある亮の頬を撫で、首に手を回し、柔らかな髪へ唇を押し当てる。 「私の名だけだ。さあ――、亮さん、滝沢の名を呼びなさい。あなたを救えるのは私だけだ。あなたは私のものだ。亮さ――」 滝沢が亮を貫こうと体制を固め、得意げな笑顔のまま前を向いた瞬間だった。 ――キン 人の耳には届かぬほどの高周波が密やかに室内を貫く。 滝沢は笑顔に口を歪めたまま、驚いたようにかすかにその一重の目を見開き、文字通り固まっていた。 滝沢の目に映ったもの。 それは、自分へと白く走る光――。 何が起こったのかわからぬまま、次の瞬間滝沢は己も同じ白へと変貌していた。少し膨張した彼の姿はまるでデフォルメされた食玩のフィギュアに成り下がる。 『なに――が……?』 何が起こったのか――、そう言いたかったが、もはや滝沢にはそれを言うため動かせる筋肉は一つもなかった。 痛みで固められた石のような身体で、徐々に白く視界が煙っていくのだけがわかる。 腕の中の少年に押しつけた己の物も一ミリたりとも動かせず、少年の中に潜り込ませることは出来ない。 白く変貌していく景色の中で、あり得ない動画が展開されていた。 眼前のガラスに、蜘蛛の巣でも張られたかのような漆黒の亀裂が走りゆき、その中央――亀裂の爆心地に銀色の光点が見える。 まさかと思った。 夢か何か見ているのかと滝沢は思う。 完全隔離のこの研究室の壁に穴を穿つなど、物理的に不可能なはずだ。 しかし滝沢の眼前で見る見る闇の亀裂は広がり、銀の刃が徐々に姿を現わしてくる。 亀裂によりばらばらに砕け散ったように見えるあちらがわの部屋では、シド=クライヴが刀を水平に構え、両腕でがっちりと突き立てているようだった。 それに気づいた時、滝沢は肺から送り出される最後の息を吐いていた。 『まさか――、ばかな、あの男、ヒトかバケモノか――』 ぐっと銀光が強く姿を現わすと、甲高い異音は音量を増し、室内の空気がきらきらと瞬き始める。 「――、シィ! だめぇっ!!」 腕の中の少年が白い息を吐きながら、鎖につながれた手を伸ばそうと身体を捩った。 『亮、さん、――、とお』 そう言おうと思った。 だが、一気に気温が下がる。 それと同時に滝沢の視界は完全に白に覆われ、滝沢の思考は黒く塗りつぶされた。 ――パンッ 軽い、電球でも割れるような音がした。 だがそれを滝沢は聞きとることはなかった。 それは、滝沢の音。 滝沢の肉が冷気に耐えかね、遂に内側から弾けた自身の放つ音だった。 先ほどまで人の形を保っていた肉の塊は、淡い紅の粉塵となって空気中に飛散し、一瞬にして蒸発する。 「シィ、だめ、だめぇ……」 一人になった部屋で、亮は呟いていた。 目の前に広がる、黒い亀裂の網――。 その向こう側で刀を構えたままのシドが何か言ったようだった。 『亮――、鎖をはずせ。おまえにならできる。鎖をはずしてリアルへ戻れ――』 亀裂の隙間からひび割れたデジタルの音声で、低い声音が滲み出す。 亮はその声に必死にいやいやをした。 シドが何を言おうとしているのか、亮にはわかってしまった。 ガラスを破れば、あの男は消える――。 滝沢の言ったことが現実に起ころうとしているのだ。 その証拠に、ガラスに走った亀裂から溢れ出た漆黒は、まるでタールのように粘性を持ってシドの刀を絡め取り、そのままシドの腕も身体も呪縛するように這い上っている。 よく見れば足下にも胴体にも、暗黒の蛇が絡みつきその場にシドを縫い止めていた。 向こう側の空間には全体に黒い点描が浮かび、それは自身を太らせながら、さらに数をも増していく。 シドの白い顔も紅い髪も、冗談のような黒のドットに塗りつぶされ、亮の視界から消え始めていた。 「いや……、シィ、いやぁっ!」 シドのそばへ行こうと亮が身体を揺するが、つながれた手錠も首輪も、まるであざ笑うようにガシャガシャと音を鳴らしそれを許さない。 「とおる、とれないよぉっ! とぉる、ひとりで、これ、とれないの。シィ、……とおる、シィといっしょじゃなきゃ、やだ。……、とおるは、シィといっしょに、かえるのぉっ!!」 『大丈夫だ。それは旧型番の空間錠だ。おまえなら、やれる。息を整えて意識をアルマに集中させろ。俺と修行したことを思い出せ……』 言う間にもシドの姿は欠けていくように黒に浸食され、その声も徐々に雑音が混じり聞き取りづらくなっていく。 亮は狂ったように前へ前へと突進しようとし、その腕も首も鉄輪で擦れて血が迸っていた。 「シィッ、やだ、シィッ!!!!」 『――泣くな。修司が待っている……』 ざらざらとした雑音に紛れ、最後にそう聞こえた。 加速した黒の侵略は一気に残りの空間を埋め尽くし、遂に一点の曇りもない黒にガラスの向こうを沈めきる。 もはや亮の目に映るのは、ひび割れたガラスに反射する、己の姿のみだった。 腕を引きちぎらんばかりにもがいていた亮の動きが止まる。 目を見開き、息でも吐くように密やかに、恐る恐る声を出す。 「シ? シィ?」 しかし答えるものもなく、返す音もない。 ただ目の前は闇が広がるばかりだ。 早鐘のようになる鼓動より速く、亮の呼吸が上がっていく。 「シィ……、ゃだ――、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、嫌だっ、――シドぉっ!!!!!!」 |