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歓声を上げて俊紀の持参した『海キングカード』のパックを開けている亮を眺め、デスクについてシドのサポートをする秋人も、壬沙子の代わりに資料整理に追われるレオンも頬を緩ませる。 昼寝を終えてからの亮は、いつも以上に顔色も良く、いくぶん食欲も出てきたようである。 目覚めてしばらく亮はぼんやりとした様子だったため少々心配をしたのだが、その二時間後秋人お手製のホットケーキをココアと一緒にぺろりと二枚、見事に平らげていた。 ここ数日食欲の衰えを見せていた亮を心配していた二人であったが、この状況に安堵の息が漏れる。 夕方になり俊紀が訪問してくると、部屋中バタバタと走り回ってうるさいことこの上ない。 レオンがいくら「足の傷が心配だから」と言っても、もうそんな言葉は耳に入らないほど、亮は大王イカのレアカードにはしゃいでしまっている。 「としきのハンマーヘッド、とおるのダイオーイカと、たたかわせよー!」 ソファーに座った俊紀の後ろからジャンプ一発飛びつく特攻を、亮がかける。 俊紀はそれに同レベルで応えながら、バスンと亮の身体をソファーへ優しく投げ倒し、こちょこちょとくすぐってやる。 「そんなレアと戦って勝てるわけねーだろーが、こら! オレのサメまで強奪する気だな、相変わらずヒデーヤツだ!」 俊紀のくすぐり攻撃に、亮はきゃっきゃと声を上げ転がった。 こうしてみれば、小学生の弟と、その相手をする世話焼き兄貴そのものだ。 「ほらほら、そんなにはしゃぐとまたお熱上がっちゃうから、ちょっと一回落ち着いて、お茶でも飲もうよ。ね?」 ソファーの下からまた駆け出そうとする亮を、レオンが必死に捕まえるが、少年ははすぐにその手をするりと抜け、ころころと秋人の方へと走っていってしまう。 「いやー! とおる、おちゃ、のまないの。うみきんぐかーど、するの!」 そんな亮をデスクについていた秋人がぱっと捕まえると、膝の上に抱え上げる。 「んー、亮くん、どうしちゃったかな? 今日は随分とハイテンションだね。だめだよぉ。レオン先生の言うこときかないと、お注射されちゃうよ?」 「っ!! ぉちゅーしゃ、きらい! おちゅうしゃする、レオンせんせいも、きらい!」 注射の一言で顔色を変えた亮だが、すぐにぶんぶんと首を振ると抗議の声を上げる。 しかし顔色を変えたのは、亮だけではなかった。 「ちょ、秋人くん、酷いよ! 亮くん、ちがうよー。レオン先生はお注射なんてしないし、甘ぁいお薬しか、出さないよぉ。お注射はアキ先生の担当だからねぇ」 亮の眉根を寄せた視線が秋人に向けられ、今度は秋人が凍り付く。 「れ、レオンくん。ちょっと大人げないんじゃないかなぁ。そういうの。――亮くんはアキ先生のこと、嫌いになったりしないよねぇ?」 「・・・。」 強ばった口元で微笑んでみせる秋人の顔を見上げた亮は、疑惑のこもった視線を向け黙ったままだ。 「・・・。」 そのままするりと秋人の膝から降りると、給湯室の方へぱたぱたと歩いていき覗き込む。 「――ミサ、はやく、かえってこないかなぁ」 二人の似たもの医者は揃って敗北したようだ。 哀愁を漂わせ始めた二人の空気を取り繕うように、俊紀が立ち上がると「隣のマック行くけど、亮も来るか?」と声を掛ける。 事務所のすぐ横の商業ビル一階にはテナントとしてマクドナルドが入っている。 昼食でよく事務所が利用するその場所は、唯一亮が気軽に出かけられる場所だ。 もちろん、一人で――というわけにはいかないが、誰かとお出かけする楽しさもあって、マックは亮の憩いの場となっていた。 「いくぅ! アキぃ、いーい?」 それでも秋人に許可を請う亮の様子に、事務所所長はだらしなく相好を崩すと、「うんうん、行っておいでなさい」と時代錯誤な言葉遣いでうなずくしかない。 「じゃ、私もついていくよ。いいかな、亮くん」 「うん。レオンせんせいも、いっしょにいこうね」 同じくレオンも鼻の下を三メートルほど取りあえず伸ばす。 「じゃ、ウサギさんも一緒に行くかな?」 亮お気に入りのウサギのぬいぐるみをソファーの上から手に取ったレオンに、しかし、亮はふるふると首を振って答えていた。 「それは、うさぎさんじゃないの。それは、お使い白ウサギさんだから、おでかけはしないの。レオンせんせい、わかった?」 真剣な様子でレオンを諭すと、亮は白ウサギのぬいぐるみを受け取り、もう一度、タオルケットの上にそっと寝かせると、よしよしとお腹を撫でてやる。 「そっか、じゃ、白ウサギさんはお留守番なのかな?」 そんな亮に鼻の下を五メートルに延長しながらレオンが尋ねると、亮は「うん。白ウサギさんは、またあした、いっしょにおひるねするよ?」と、笑顔でこっくりうなずいていたのだった。 青い月明かりと、喧噪が絶えない通りのヘッドライトに彩られた静かな事務所内。 一日の業務を終えた沈黙の室内に息を殺した黒い影が滑り込んでくる。 古いスチール製の扉についた鍵は、男の手にしたピッキングツールによって思った以上に容易に開かれていた。 進入に要した時間は五分弱だ。 男は足音を忍ばせて秋人のデスクへ近づくと、そこにすえられたパソコンの電源を入れる。 密やかな振動が重い木製デスクに響き、画面に様々な文字列が流れ始める。 男はバイオスやビデオカードの認識時間にすらイライラとしながら、その間デスクの引き出しを片っ端から開きにかかっていた。 どの引き出しもきちんと整理され、文房具やら記録済みディスクやらが収められている。 それらのディスク、そしてデスク上のファイルを全て持ち込んだ大きなボストンバッグに詰め込むと、男はようやく立ち上がったパソコンへ、持参した大容量メモリーを差し込んでいた。 パスワードが掛かっているかと思ったが、思いの外パソコンのローカルセキュリティは甘いらしい。 膨大な量のデータがあったが、パソコン自体の性能が恐ろしいほど高いようで、データ転送にも大きな時間はかからなかった。 それら全てを落とし終わると、男は直ちに脱出に掛かる。 不意に上階でガタンと大きな音がし、人の声がした。 「気のせいじゃないの? レオンくんはジャパニーズホラーとか見過ぎなんだって」 「いや、確かに聞こえたんだよ! 地を這うようなうなり声が! ブィィィィィンってさぁ」 漏れ聞こえてくる声からすると、どうやら男の存在に気づかれた節がある。 男はパソコンの終了処理もそこそこに、獲得したデータ全てをひっさげて、取るものも取りあえず飛び出していた。 階段を利用したため、間一髪、上階からエレベーターで降りてくる人間との接触は避けられた。 しかし、まだ安全とは言えない。 この仕事は、暗部ソムニア業界で近頃頭角を現わしてきた、ソーシャルワーキング会社から紹介された仕事なのだ。 現在売り出し中のその組織は、俗に言う『組系やくざ』が絡んでいると言われており、危険が大きい分見返りも莫大だ。 失敗するわけにはいかない。 男は滴る汗をそのままに、階段を駆け下りていった。 『シドぉっ!!!! ど、どどどど、泥棒だよおおおおっ!』 事務所所長から緊急コールが入ったのは、深夜二時を優に回った頃であった。 亮とおそろいのネックブレスを装着したシドは、その効果から自室でセラに入り込むことはなく、亮が帰ってきてからというもの、プライベートでセラへ入獄することはなくなっている。 今日もお互いのネックブレスを交換し身につけ、亮を寝かしつけていた。 こうすることで、ブレスの不調がないか調べることも出来るし、なにより亮がいつもシドの着けている側のものを自ら着けたがるのである。 まったく同じ作りなのだからどちらでも構わないと思うのだが、亮には「シドがつけてるののほうが、かっこいい」と映るらしい。 浅い眠りをたゆたっていたシドの枕元で、携帯電話が静かに振動を伝えていた。 明かりも点けずにそれをとると、飛び出してきたのはこの泥棒報告の悲鳴である。 あまりの大音量に亮が目を覚まさないかと、すぐ隣で丸くなる小さな身体へ視線を落とすが、少年はいつものタオルケットを抱え込んだままスースーと静かな寝息を立て、深く安らいだ眠りの中に沈み込んでいるようである。 今日はいつもより顔色も良く、眠りも深いことが一目してわかる息づかいだ。 『今、今なんだよぉおおお! 怪しい影が飛び出していってさぁ! レオンくんが追っかけてくれてるけど、僕の秘蔵の都市伝説研究がごっそり持って行かれて――』 「仕事の内容や、入獄システムのログは?」 『それは、大丈夫だ。そいういうのは全部偽装で別ドライブに入れ込んであるし、手も着けられてない。――でも、僕の秘蔵の……』 「役にもたたん趣味の雑記帳などしらん」 シドの言葉は、彼の体温より冷たい。 『――!! ……で、でも、ほら、相手は絶対システムのログを狙ったんだと思うし、追っかけて損はないっていうか、あ、もー逃げちゃうよ、こら、社長命令だあああ!』 どうやら窓から外を眺めながら電話をしているらしく、秋人の電話内容は逃走していく犯人の様子が意外と克明だ。 シドは亮の寝顔にもう一度視線を落とすと、小さく息を吐いてベッドを降りていた。 深夜、亮のそばを離れることはあまりしたくはない。GMD中毒患者を一人にするのは少なからず危険が伴うのだ。 しかし確かに犯人の狙いが入獄記録だとするなら、シド自身だけでなく、亮への危険も十分に考えられる。 ――三十分だな。 亮を一人に出来るぎりぎりの時間だ。 シドはシャツの上からイスに掛けられたコートを羽織ると、そっと部屋を出て行った。 |