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「……バカシド」 亮は寮への道を急ぎながら、旧理科準備室から自分を見送った英会話講師の飄々とした顔を思い出し、唇を尖らせる。 身支度を調える手伝いこそしてくれたが、終始シドは意地悪モードのままだった。 何より、最中も着たままだったティンカーベルのドレスは目も当てられないほどに汚れ、破れも酷い。 とても「はい、吉野さん。これ借りてたドレス」と、返せる代物ではなくなっていた。 取り敢えず洗濯して、取れた羽根も縫い合わせて……と、どう乗り切ろうかと考えあぐねながら、亮は寮の玄関を開ける。 随分遅くなってしまった。できれば人に会いたくない。 久我が外出していることを祈りつつ、おそるおそる自室を覗いた亮を待っていたのは、 「よぉ。随分と遅かったじゃねぇか。どこ彷徨ってたんだ? 逃亡妖精」 ザンネンながら、態度も悪くベッドへ寝そべったままキャンディーを燻らせる久我だった。 一瞬ギクリと足を止めかけたが、亮はムッツリと押し黙ったまま、乱暴にドアを閉め、カラーボックスで仕切られた自分の領土へ大股で戻っていく。 「おまえが逃げたせいであの後大変だったんだぞ!? イナゴの如く押し寄せる血走った目の男子どもを、サラリといなしてやった俺の機転と胆力に感謝してもらいたいもんだ」 「そもそもおまえのせいだろ。押しつけがましく恩を売るな」 「学校、やめんのかよ」 久我の声が一瞬低くなる。それをどう受け取ったのか、亮は少しだけためらいを見せると、幾分剣の取れた声で言う。 「……やめねぇよ。……やめなくてすんだ」 「……そっか」 自分自身に呟くようにそう言うと、久我はキャンディーの棒をつまんで取り出し、イチゴ味の球体を眺めながらニヤリと口元を歪めていた。 「しっかし、おまえがソムニアだったとはなぁ。正直驚いた」 「・・・・・・? 何を今さら。おまえが言出したことじゃねーか」 「俺は一言も言ってねぇぜ? 俺が知ってたのはおまえがコンビニの袋被って佐薙を救出したってことだけだ」 「っ!? てめ、騙したのかよっ! 汚いぞっ!」 「人聞き悪いな。おまえが勝手に白状したんじゃねーか。俺だってまさかそんなこと告白されるとは思わずに、脳内整理が大変だったんだからな」 「――っ……、」 「で? おまえの能力、なんだよ」 「っ、な、なんでそんなことまで言わなきゃならないんだっ」 「もしかして、すんげー珍しい能力か? だったら捗るんだけどなぁ、色々と」 チラリと横目で亮を眺める久我に、紙袋を抱えたままの亮は気圧されるように後ずさりする。 「そ、そんなわけないだろ。ま……マナーツだよ」 マナーツ種と言えば、賦与能力のないソムニアであり、全ソムニア中約半数がこれに当たると言われている至ってノーマルな種である。 久我は眉を片方吊り上げると、すぐに破顔し、ひらひらと手を振っていた。 「ははっ、ムジルシか。まぁ凹むなよ。マナーツでも強いヤツはいっぱいいる。日々精進だぜ」 その久我の態度になぜかカチンと来た亮は、挑むような目で久我を眺め卸す。 「そーゆーおまえは何なんだよ。なんでそんなにソムニアのこと、知ってるんだ!?」 「そりゃおまえ。……俺もソムニアだからさ」 亮の目が大きく見開かれ、寝そべったままのクラスメートを眺める。 全く思いも寄らなかった。まさか久我がソムニアだったとは――。秋人からも何も聞かされていないし、亮の同室に久我をあてがった所を見ても、彼がソムニアだということは知られていないらしい。 このことをシドが知ったらエラいことになる――と、亮はぞくりと身を竦ませた。 「……久我も、……ソムニア……だったのかよ」 「驚いたか? 能力はイザ種。賦与持ちだぜ?羨ましいだろ」 亮の眉がピクリと動いた。イザと言えば―― (……シド以外のイザ、初めて見た) 「クラスは、そこそこ強いC−。まぁIICRからお呼びはかかっていないんだが、その内見とけって話だよ」 「しーまいなす……」 呟いて、亮はセブンス時代に勉強させられたソムニアの知識を必死に思い出していた。 ソムニアには能力種とは別に、能力そのものの強さを表す「クラス」というものが存在し、上はSSS(トリプル)から下はG−(ジーマイナス)まで、二十四段階に分けられている。カラークラウンだったシドはもちろんSSSクラスだったはずである。亮自身もクラスを与えられていたのだが、それがいくつかだったか――まったく興味の無かった彼の記憶にはあまり残っていなかった。 ぼんやりとしたその様子をどう捕らえたのか、久我は気のいい笑みを浮かべる。 「そんな顔すんな。おまえのクラスには興味ねぇから」 賦与能力があるかないかでソムニアのクラスは大きく変わってくる。そして「クラス」はソムニアにとってのヒエラルキーに関わる重要な数値である。どうやら「マナーツ」の亮に対し、久我は亮のプライドを損ねないようにそれなりに気を遣ったらしい。 「おまえ、仕事、何やってんだ?」 「へ?」 唐突に切り出され、亮は思わず間抜けな声を上げてしまう。 「へ、じゃねーよ。ソムニアだったらなんかやってんだろ? どっかの会社に所属してんのか? それとも俺みたいに個人で賞金稼ぎでもやってるとか?」 「…………」 どう答えたらいいのかわからず、銅像のように固まる亮へ、しびれを切らした久我が言葉を重ねる。 「まさかおまえ、アンプロか? 無職のソムニアさんか!?」 「……う……」 なんとなく「無職」という響きは良ろしくない。しかし、事務所へ所属してると言えば、どこの事務所だという話になり色々面倒である。 「成坂。おまえ何世代目なんだ? 俺は覚醒してまだ二世代目だがこうしてがんばって仕事してんだ。無職はいかんぞ、無職は。ソムニアとしてのプライド持てよ」 「……覚醒したの……は、去年……」 「……は?」 「だから、……去年の今頃、ソムニアになった……」 「…………マジかよ。目覚めたて? まだ一度も死んでないのか?」 「……ぅん……」 どうにもそれが恥ずかしいことのように思えてきて、亮の声は蚊が鳴くように小さくなっていく。 「しかも去年かよ! ……そりゃ、アンプロでもしょうがねーか……。……よし。これも何かの縁だ。俺がソムニアのイロハ教えてやる」 がばりと起き上がると、久我は頼もしく胸を叩く。だが亮は渋い顔だ。 「別に……いい」 「良くはねーだろ。このまま無職でいいのか? 俺と組めって。それにこの学校には大金ネタが埋まってんだ。一緒に仕事すりゃ、ソムニアのなんたるかも分かる上に金も稼げて一挙両得だぜ?」 「……だから組まないっつってんだろ!? おまえに教えてもらうくらいなら無職でいい!」 それでもどうにか突っぱねることに成功した亮に、久我はむっとする。 「……そうかよ。おまえがその気ないなら別にいいけど。俺は俺で勝手にやるから」 「妙な動きすんなよっ。迷惑かかったらどうすんだよ!」 「……迷惑って誰にだ?」 「っ!!」 思わず口走った言葉に、しまったと亮の顔が歪む。だがすぐに立て直すと言い返していた。 「誰にって、っ……、お、俺にだよっ!」 「なにサマだよ。てめぇに掛かった火の粉くらいてめぇで払えなくてどーすんだ。甘えん坊か」 「! な、なにぃっ!? 誰が甘えん坊だっ! てめ、殺すぞっ!」 「おぉい、おまえら飯食わねぇと片付けられちゃうぞー」 隣室の寮長が不意にドアを開け顔を出す。 どうやら妙な言い合いをするうち、かなり時間が経ってしまったらしい。 「よし、成坂。話はメシの後だっ」 「うるせーっ、話すことなんてなんもねー!」 二人は小突きあいながら、仲良く食堂へと向かったのだった。 目の前にあるのは数学の答案用紙だった。 亮は教室のいつもの席で、それを眺めながら首を捻る。 いや、いつものように答えがわからなくて悩んでいるわけではない。 むしろその逆である。 その答案用紙には全ての問題にもう、答えがうっすらと書き込まれているのだ。 何より30問ある問題はなぜか全部同じ内容で―― 『 □の中の数字を埋めなさい。 108-8=□ 』 しかもその四角の中にうっすらと書き込まれている数字は『10』。 (・・・・・・。なぞなぞか? もしくは引っかけ? オレには、100……に思えるんだが……) あまりの胡散臭さに手が止まったままの亮は、横のクラスメートの答案をちらりと覗き見る。 隣の生徒は何の迷いもなく四角の中に『10』という数字を延々と書き入れ続けていた。 これでは計算問題というより、漢字の書き取り練習に近い。 周りを見てもそれに疑問を感じる者など一人もいないようで、多くの生徒が答えをなぞるようにペンを走らせている。 (なんだ、この状況……) ひとしきり首を傾げた後、亮は思いついたように目を見開いていた。 (・・・・・・。やばい。もしかしてここ、……セラだ!) 間抜けなことに、ここに来てようやく亮は自分の居る場所がどこなのか把握する。 しかも回りの状況を見ると、どうやら絶対に近寄るなと言われていた学校所属の『スクールセラ』に違いない。 今まで意識して訓練所以外のセラへ入獄しないようにしていた亮は、まさか自分がこんな場所へ入り込んでしまうとは思ってもみなかったのだ。 うっかりセラに入ってしまうなど、ソムニアとしてあるまじきミスである。 そう言えばリアルで行われた前回の数学テストで、『12+1』という高校にあるまじき簡単なサービス問題が出題され、亮は嬉々としてそれを解いたことを思い出していた。だが、驚くべきことにそれを間違えた者が一定数いたらしいことも、噂により知っている。 (もしかしてこのスクールセラで、今みたいに洗脳されてる生徒がいるってことか?) しかし簡単な数学問題の答えを間違えさせる洗脳などに何の意味があるのか……。 亮にはまったく見当も付かない。 「あと五分だぞー! みんながんばれよー」 監督の教師の一言で、亮は我に返る。 自分だけ答案に書き込まないなど、「ここで自我をしっかり保っているボクはソムニアです」と訴えているようなものだ。 「……っ、」 慌ててみんなと同じように、並んだ四角に「10」の数字を書き連ねていく。 そして―― なんとかその謎テストを終了し、前の者に用紙を回した亮の耳に聞こえたのは、チャイムの音と 『生徒会からのお呼び出しです。一年Cクラスの成坂亮くん。至急生徒会室まで来てください』 思いも寄らぬ呼び出し放送の声だった。 「…………うまく、行ったか?」 深夜二時半――。 闇に沈んだ室内で、カラーボックスの影から息を殺すように久我はお隣のエリアを覗き込んでいた。 窓から零れる街灯の明かりに照らされ、ベッドで丸くなったルームメートの整った顔が、ぼんやりと白く浮かんでいる。 寝息が聞こえないほど静かだ。 抜き足差し足忍び寄ると、久我は亮の枕元に置かれた目覚まし時計を手に取り、裏側に貼られた薄いシール状のものを剥がして丸める。 それは紛れもなく、入獄システムの簡易版シート――。一般の人間には効力がないが、ソムニアであれば指定のセラへ入獄することができる。 亮がシュラにもらったカードと同じ類の品である。 「よしよし。うまく目的のセラに入ってくれたみたいだな。ったく……ソムニアだってもっと早く言ってくれれば、こういう簡単な方法も取れたんだっての」 しかも相手は覚醒してまだ一年のペーペー新米ソムニアだ。能力の上でもマナーツでクラスも低いであろう彼を手玉に取ることなど、久我には造作もないことである。 「ミスコンであんだけ目立たせた成坂をスクールセラにぶっ込んだんだ。名前は明かしてないが、絶対連中は気付いてる。うまくエサに食いついてくれよ……」 協力したくないというのなら、協力せざるを得ないまでに足を突っ込ませてしまえばいい――。久我の作戦は「強引に成坂を引っ張り込む」のまま継続されていたらしかった。 どうしようか散々悩んだのだ。 だが結局亮は今、生徒会室の前に立っていた。 呼び出しをくらい、一度はすぐにリアルへ戻るべきだと考えた亮だったが、 「……何か、シドたちの役に立つ情報が……手に入るかも知れない」 シドは確かに教師として学校に潜入は果たしているが、生徒側から見た情報を知ることは出来ないはずだ。これが亮にとってシドに対する唯一の優位なポイントである。 (学校セラに入るなって言われてたけど、今回の入獄はオレの意志ではなく、偶然に入ってしまったのだからして、これは全然まったく言いつけに背いてることにはなんねーしっ) 必死に自分の中でへりくつをこね回るが、結局亮は自分だけ守られる存在でいることが嫌なのだ。 「オレだって一人前だってとこ、見せてやるんだ――」 意を決し、生徒会室の扉に手を掛けた瞬間。 亮が力を入れる前に、ガラガラと扉は開かれていた。 「!」 「! な……成坂、くん」 目の前に立っていたのは驚きで硬直した佐薙。 予想外の人物の登場に、亮も動きを止め良く知るクラスメートの顔を見上げる。 「なんで……? ……成坂くん、学校嫌いでこのセラに来たことなかったから大丈夫だと……思ってたのに……」 佐薙は顔を微かに歪めて口の中で呟くと、亮を押し返すように廊下へ突き出す。 「ダメだよ、来ちゃ、ダメだ。成坂くん、早くリアルに戻って……、って言ってもわかんないか。と、とにかく、ここから離れて――」 「お。成坂、やっと来たか。入れ入れ」 佐薙の声を打ち消すように、室内から聞き覚えのある太い声が聞こえてくると、大柄な男が顔を覗かせていた。 ジャージにTシャツ、首からホイッスルを提げたいつものスタイルで、体育教師・金原雄一はにこにこと亮を出迎える。 そして、毛深い豪腕をぬっと突き出すと、あっというまに亮の身体を室内に引き入れていた。 「先生、あの、成坂くんは……」 それでもどうにか食い下がろうとする佐薙に、金原は鋭い眼光を向ける。普段温厚で、楽しい兄貴分というイメージで売っている金原とは思えない顔つきだ。 「佐薙は担当外なんだ。いくらお前が成坂を気に入っているからって、今さら例外を作るなんてのは、先生認めないぞ。最初に納得ずくで取り決めただろう。おまえは女子担当だろうが」 「それは……」 状況をどうにか理解しようと、亮は必死に頭を回転させ辺りを見回す。 佐薙も金原も生徒会とは関係のない人間のはずだ。佐薙はボランティア部所属であり、金原もボランティア部の顧問である。その二人がなぜこんな場所にいるのか。彼らの言っている言葉の意味もよくわからない。 (……佐薙は女子担当って……なんのことだ?) 「成坂、よく来てくれたな。今日から一緒にボランティア部の一員としてがんばっていこう」 「……え? ここ、生徒会室、ですよね?」 「生徒会室、兼、ボランティア部の部室……なんだ。ここ、リアルより広くできてるから使い勝手がいいんだよ」 そう答えたのは金原ではない。 亮の視線は部屋の奥――開かれつつある扉の向こうへと据えられていた。 そこに佇んでいたのは―― 「……東雲、先輩」 妙な緊張感が走り、亮はじりりと一歩後ずさる。 「副会長権限使い放題ってやつでね。……佐薙、良かったね。大好きな成坂くんが仲間になってくれるよ。こっちへご案内して」 「先輩、あの……」 「さあ成坂。奥へ行こう。誰かに奉仕することは気持ちいいぞ?」 おろおろとした様子の佐薙を押しのけ、金原が亮の肩をつかむと、机やイスの並ぶ小さな前室を通り抜け、東雲の消えた奥の扉へと引っ張っていく。 (どうしよう……。帰るべきか――、でも、ここで戻っても大した情報はない。もうちょっとだけ……、あの中を見るだけ見て、それから引き返せば……) ぐるぐると頭の中で考えるうちに、亮はずんずん引き入れられ、ついに奥の扉の前に立たされる。 そして扉の先に現れたのは―― 「っ!? なに……ここ……」 思わず亮は息を呑んだ。 とにかく、広い。生徒会室ではありえない、小ホールほどの広さはありそうだ。 その中央に三つほどガラス張りの小部屋が設けられている。 その中も小さく区切られていて、簡易なシャワー施設やトイレなども作り入れられているようだ。 そして何より目を引くのが、大きなベッドと天井から垂らされた太い鎖――。 何に使う部屋なのかと首を傾げかけた亮だったが、その目的はすぐに判明した。 右側奥の部屋――。その中に、一人の少女がつながれていたからである。 一糸纏わぬ姿の少女はこの学校の生徒だろうか――。楽しげな嬌声をあげながら、自分の身体に覆い被さる男子生徒と絡まり合っている。 「…………」 「成坂くんも男の子だから、こういうの興味あるのかな? でも、残念ながらキミは従業員側なので、彼女たちとは遊べないんだ。ごめんね」 目の前に立つ東雲が手元のリモコンを操作すると、一瞬で透明の部屋は白い壁に切り替わる。 「……先輩、あんた、何やってんですか。こんな酷いこと……どうして……」 ドクドクと亮の心臓が脈打ち始めていた。 目の前の生徒会副会長は、女子生徒をつかっていかがわしい商売でもしているに違いない。 たとえセラの中での出来事だったとしても、こんな周到なやり方をすれば、一般人などすぐに洗脳されてしまう。リアルに戻った彼女たちがどういう行動を取るか、考えただけで亮は吐きそうになった。 「酷い? そうかな。さっきキミも見ただろう。彼女たちも楽しんでる。僕は彼女たちの欲望を満たしてあげながら、地域のみなさんに貢献させてもらってるだけなんだけど。……だって僕、ボランティア部の部長だし」 東雲は眼鏡の奥の切れ長な瞳を細め、肩をすくめて見せた。 いつの間にか背後に醍醐の姿が現れている。傲然と見下ろすその表情は、ピリピリとした様子の亮に随分と警戒心を持っているようだ。 「こんなこと……、すぐに誰かに見つかる。痛い目見るのはアンタだぞ」 「ふふっ、僕の心配してくれるのか。優しいな、成坂くんは。でも大丈夫。僕もバカじゃない。見つからないように、こっそりやってるし……何より、僕のことを話す下品な裏切り者は誰もいないからね」 今すぐここを出るべきだ――。頭の中で警報音が鳴り続けている。 亮は肩に掛かった金原の手を振り払うと、東雲の、整った陶器のような白い顔を睨み上げた。 「オレが黙ってるとでも思うのかよ、バカじゃねーの」 「もちろん――キミも黙っているはずだよ?」 縁の細い眼鏡をはずし、東雲が亮の顔を見下ろす。 「っ!?」 ――ドクンッ と、全身のアルマが脈打った。 「キミは誰にもこのことを話せない。話したくない。話せば楽しみが減ってしまうから。話せば僕に嫌われてしまうから」 「……なに……を、言って……」 鼓膜を震わす東雲の声は、甘く蜂蜜のように亮の脳に染み渡り、世界にベールを掛けていく。 紗の掛かった世界で、東雲の声だけが確かな脈動を刻み、力強い現実として亮の全身に刻み込まれる。 (変だ……なんか、こいつ、やばい……。逃げなきゃ……) 亮の額から冷たい汗がしたたり落ちていく。 「キミは今から三日間――この部屋から出られない。でもつらいことなんかない。三日三晩、楽しいことを教えてもらえる。そして――目が覚めたら、キミは奉仕活動が大好きなよい子になっているよ」 「先生がじっくりおまえの指導をしてやるからな――成坂」 金原が再び亮の肩に手を回した。 だが、亮にはそれを振り払うことができない。 (おかしい、なんだよ、これ……、なんで、オレ、身体動かない……) 「し、東雲先輩!」 唐突に声を裏返し、佐薙が叫んだ。 「成坂くんは、……成坂くんだけは、許してあげて! おね、……御願いしますっ」 「……僕の顔に免じて……か?佐薙。免じるような顔も持ってない割に、我が儘言うなぁ、おまえは」 「すいません、でも、成坂くんだけは……」 「佐薙! おまえは黙ってろっ。さっさと自分の持ち場に戻れ、このバカ者がっ」 金原は苛立ったように佐薙を突き飛ばし、蹴り上げる。 悲鳴を上げて床に転がった佐薙は、それでも必死の面持ちで顔を上げていた。 「……そんな目で見てもダメ。成坂くんにはリクエストがたくさん来てるんだ。ミスコンのティンカーベル、キミだろ、成坂くん。昨日の今日だってのに彼女を探せってうるさくてね。普段女の子とばかり遊んでいる紳士のみなさんも、噂のティンクが入荷されたと聞いたら、たとえ男の子だったと知れても……性別問わずで押しかけるはずだ。新たな顧客ルートも開拓できるし、手放せる駒じゃないんだよ。だから、悪いな、佐薙。おまえの愛する成坂くんは、金原先生に教育してもらうから」 「っ、先輩!」 「……くどいよ」 冷えた言葉が東雲の口から漏れ、佐薙は呻くように黙り込んだ。 「成坂くん。では――金原先生の言葉をよく聞いて、奉仕の心に磨きをかけてください。期待してるよ?」 微笑むと東雲は眼鏡を掛け直し、亮の髪を優しく撫でる。 (くそっ――) 身を引こうとするが、それさえもままならない。 まるで身体が自分のものではないかのように言うことをきかないのだ。 亮自身は気付いていないが、その表情も能面の如く色を失っている。 (なんで……、こんなの、どうしたら――) 心中焦ってももがいても、それは亮の内側だけでのこと――外の世界になんら影響を及ぼさない。 「じゃあ成坂。真ん中の部屋、行こうか。あそこは一番設備が整ってるからな――」 いそいそと亮の肩を抱いたまま、金原が歩き出す。 亮の全身が総毛立った。 (くそっ――、行かない、そっちへは……行きたくない……) あの部屋が何をする部屋か、さきほどの女子生徒を見ていれば一目瞭然だ。 しかし亮の足は、小さくためらいを見せただけですぐにそれに従い、金原と共に中央のガラス部屋へと進んでいった。 |