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「イイ! イイよぉ! もっと僕を汚物を見るみたいに見て! ティンクちゃん、ティンクちゃん、僕は汚い? 気持ち悪い? ねぇ、ねぇ、どうなのぉぉぉおおおおっ?」 ピラクは興奮に目を血走らせ、制御の効かなくなった唾液腺からヨダレを迸らせながら、亮の上へと乗りかかってくる。 じっとりと汗ばんだ男の体温が亮を押さえつけ、噎せ返る体臭が亮の鼻孔に潜り込んでくる。 「……っ!」 恐怖に身体が竦む。 はぁはぁと荒い息。臭い。声が、出ない。 「その顔。その顔! キモイんだよね、僕が、キモくてキモくて、触りたくもないんだよね!? ティンクちゃんがそんなキモイ僕に、キモくて汚い僕に、汚されちゃうんだ。気の強い天使様が、僕の粗末なおちんちんねじ込まれて、汚いザーメンいっぱい注がれて、嫌なのにビクンビクンっておちんぽミルクいっぱい噴き出しちゃうんだ」 「……ゃ」 亮の目が恐怖に見開かれる。 ぽたぽたと頬に垂れ落ちる、生臭い唾液。眼前に迫るピラクの欲情しきった顔。 卑猥な言葉を羅列し、あたかも今それをしているかのように、ピラクは昂ぶり捲し立てる。 いつの間にかピラクは自分のズボンをずり落とし、己のものを晒していた。 それは今まで亮が見たこともないほど小さく、ピラクの腹の肉に埋もれてしまいそうに見えた。しかしすっかりそそり立ち、だらだらと汁を滴らせて己の役目を主張している。 「ティンクちゃん、ティンクちゃん、ティンクちゃん、罵って、僕を、罵って、キモイ死ねって泣きながら、エロいミルクぴゅっぴゅって出して見せて……」 分厚い唇から伸びる赤黒い舌が亮の顔へと近づき、うねうねと動いた。 全身に鳥肌が立ち、亮は大声で悲鳴を上げそうになる。 「……ぃ……っ、」 だがそれを必死に飲み込む。 終わりだ、と思った。 叫んだら、それで最後、今ピラクが言った言葉が現実になる。 そんな戦慄が亮を襲った。 ピラクの手が焦ったように亮のスカートをたくし上げ、足の間に野太い足を潜り込ませてくる。 眼前に伸ばされた舌先には唾液の雫が汚水のごとく溜まり揺れていた。 亮はその雫を眺めることしか出来ない。 (嫌だ……、嫌だ……、嫌だ……、嫌だっ、嫌だっ、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪いっ、気持ち悪いっ、気持ち悪いっ!!) ピラクの指先が亮の下着にかかろうとし、舌先が亮の唇へねじ込まれようとしたその瞬間。 ガッ―― 亮の左手が、ピラクの喉元へ食い込んでいた。 それは目に見えないほどの一瞬の出来事。 「ぐげっ!?」 そしてそのままの亮の腕は、何の抵抗もなく垂直に伸ばされていく。白くか細い少年の腕が、体重百キロを超える男の身体を風船人形の如く持ち上げていた。 その手をほどこうと、ピラクは両手で喉を引っ掻きもがく。伸ばされていた舌はだらりと口から垂れ下がり、ひくひくと芋虫のように痙攣していた。 「……」 亮はそれを無表情のまま眺め、ピラクを腕の先にぶら下げたまま苦もなく立ち上がる。 「っ……ぇぐぅ……っ、」 ピラクの身体が、ぶらりとピアノの縁から外された。足場を失い、ピラクの短い足がバタバタと空を掻く。 ピアノの上、百キロ超の男を片腕で吊り下げた少年メイドの姿は、完全に現実感を喪失していた。 柔らかな髪と清楚な衣服が風に乱れ、窓から差す陽の光にきらきらと輝く。 その少年の整った顔には一切の表情なく、ヒトならざる何かの気配さえ感じさせる。 これが、先ほどまで生き生きと跳ね回っていた少年と同じ人物かと、座り込んだままのオーズは目を見開き眺め上げていた。 その光景に、畏怖と欲望――そんな相反する二つの属性の塊が、口から吹き出そうなほどオーズの体内を満たしていく。ぞくぞく、ぞくぞく、と――体中の毛が総毛立ち、全身の血管が脈打ち始める。 醜い豚をぶらさげた御使いは、オーズを断罪するために、今日、この日――目の前に降臨したのだ。 「ぎ……ぐぶ……」 ピラクの口から白い泡が流れ落ちていく。 あの豚は殺されるのだ。 醜いから、召してもらえるのだ。 御使いの小さな手で、命を握りつぶしてもらえるのだ。――そんな妄想が、絶対的な確信をもってオーズの脳内を蹂躙する。 「っ、ぁ、ぁ、ぁぁぁあああっ」 奇妙な声が我知らずオーズの口から漏れていた。 ビクンビクンと腰が動いた。 身体の奥から突き上げる快感。 自分ももうすぐ連れて行ってもらえる。 彼の手でこの醜い身体は無惨に、そして無慈悲に潰される。ぐちゃぐちゃに。ただの肉の塊に。 「ぁっ、ぁっ、ぉっ、ぉっ、ぉぉおおおぉっ」 動物の遠吠えのような声がどこか遠くで聞こえた気がした。それが自分の口から迸っていることにも気付かず、オーズは腰を動かした。 灼熱の溶岩のごとき欲望が体内を巡り、その塊が狂気の快絶を伴って、身体の中心から噴き上げる。 触れてさえいないのに、オーズは何度も、何度も、下着の中で射精していた。 妄想の中で射精している自分を少年に見せつける。噴き上げる白濁液に嫌悪の表情を浮かべる少年――。そしてあの足で局部を踏み抜かれ、自分は息絶えるのだ――。 しかし眼前の少年はこんな自分の情けない姿に、視線さえ寄越さない。 蔑んでさえもらえない。 達しながら名前を呼んでみようかと思った。だが、それもできなかった。オーズは彼の本当の名を知らない。彼はティンカーベル……いたずらな小妖精などではないのだ。もっと別の――、触れてはいけない何か。 男が名を呼ぶことが許されない、何かに違いないのだから。 「ォヴォ……、…………」 奇妙な音がピラクの口から漏れた後、ひゅー、と、か細い空気音が続いた。 赤黒く膨れあがった顔には、黒い毛穴が一つ一つくっきりと浮かび上がっている。 白目を剥き、舌をだらりと垂れ下げると、藻掻いていた手が力を無くしていく。 そしてなぜか、まるまっちい身体がひょこひょこと珍妙なくねりを見せていた。 「……っ、……」 それはピラクにとって至悦の瞬間だった。 声もなく、ビュクビュクと大量の白濁液が、ピラクの粗末なものから空中へ放出される。 続いて生々しい音を伴い、しおれたそこから暖かな液体が湯気を上げ、漏れだしていく。ツンとした刺激臭が辺りに広がった。 鼻と口から泡を吹き、白目をガクガクと痙攣させながらも、しかし、その顔は幸せそうに微笑んでいた。 亮はその光景を、不思議な気持ちで眺める。 ――この人は一体どうしたんだろう? ――なんで死にそうな顔をしてるのに、笑ってるんだろう? (……シニソウナカオナノニ……、…………、死に、そう……?) 「っ!!」 瞬間、亮の目が見開かれた。 咄嗟に手を離し、とすんと尻餅をつく。 ピラクの巨体が質量を取り戻し、重力に引かれて床へと落ちた。 どさりという鈍い音の後、ゲフゲフと咳き込む声が聞こえる。 「ぁ……、ぁ……、っ……」 亮は意味のない呻きを漏らし、震える息を吐く。 自分が今、何をしようとしていたのかわからない。 強烈な嫌悪感の後、ぷつりと綺麗に感情が飛び、まるでテレビでも見ているかのように現実感のない映像が、目の前をスルスルと流れていたことだけを記憶している。 自分の目が自分のものでないような――、いやそれどころか身体自体が自分のものでないような、不気味な感覚。 心の細胞一つ一つが全て機能を停止させた、感情の無温度。 それはシドの持つ生きた凍気とは真逆の、忘却の冷気。 「…………っ、」 冷たい汗が全身をびっしりとぬらし、艶やかな亮の頬を滑り落ちていく。 自分は今、危うく人を殺しかけた――。 何が起きたのかはわからなかったが、亮は今、最悪の事態を起こしかけたのだ。 さっきまでピラクの喉を握っていた左手が、じんじんと疼いていた。 「私も……っ」 と。不意にピアノの下から声が聞こえる。 「私も、彼と同じように、同じように、もっと、めちゃくちゃに――、ぐしゃぐしゃに――、私もっ!」 意味不明の擬音ばかりのセリフで、オーズが必死に何かを乞うていた。 彼は立上がることすらせず、畏まりしゃがみ込んだまま身体を引きずって、ピアノの足へ頬をすり寄せている。 ――……何が、起きてる? さっき起こった感情の断裂以来、亮の周囲で状況は一変していた。 辺りに満たされているのは狂気を孕んだ信仰の気配。 精とアンモニア臭の漂うこの部屋で、鳥肌を感じるほどの懺悔とカタルシスの空気が、ひんやりと周囲の温度を下げている。 亮は力を無くした足に必死に活を入れ、立上がった。 見下ろせば椅子からずり落ち、股間を濡らしたまま祈りを捧げるマーシーの姿が見えた。 ピアノのすぐ下には、咳き込みながらも幸せそうな顔を向けるピラク。 そしてオーズはピアノの足に頬をすり寄せたまま、まるで子供のように泣きじゃくっている。 ――これ……、これが、ゲボの力? こういう……もんなのか……? 何が起きたのか、正確なことはわからない。 だが、今この場を支配しているのは自分だと言うことだけが、直感的に亮を動かしていた。 とまどっている時間も余裕も今はない。 やらなければならないのは、計画を進めることだけだ。 亮は乾いた唇をかみしめ濡らすと、震えようとする声帯を必死に立て直し、いかにも高飛車に声を張る。 「……オレの言うこと、ちゃんと全部きけるいい子だけに、お前らがして欲しいこと、してやるよ」 そして肝心の本題――、この売春システムの細かな情報収集の為の質問を開始する。 その場にいる男達は先を争うように、自分の知る情報の全てを垂れ流し始めていた。 この会の招集方法。 料金設定。 その金の受け渡し方法。 選ばれている者達の知りうる限りの素性。 亮たちがあれほど求めて止まなかった情報は、あまりにもあっさりと、十分足らずで開示されてしまったのである。 亮が笑顔を向けると、男達は表情を蕩けさせ、うっとりと彼らのミューズを仰ぎ見る。 「少しは調教の成果が出てきたみたいだな……。けど、そろそろ時間だ。次回、オレをまた指名してくれたら……、この続きしよう?」 足下で雁首そろえている三人の男達の頭を一人ずつ撫でてやると、そっと自分の唇へ人差し指をたてる。 それだけで、彼らは至極のうめきを口の端から漏らす。 もう、何でもいいのだ。 目の前の御使いが、彼らへ関わりを持ってくれる。 それだけで、満たされ、そして天上の快感が脊椎を突き上げる。 「今日のサービス内容は内緒だからな。色々上がうるさいから」 『は、はいっ!』 裏返った声で新兵のように返事を返すと、指示されるまま、男達は部屋を後にする。 ピアノの上に立ったままの亮を残し、三人は一糸乱れぬ従順さで扉を閉じていた。 「……」 ほっと亮の唇から息が漏れる。 どうやら計画は前に進むことができたらしい。 と――。 「っ――!!」 不意に音楽室の掃除用ロッカーから、大きな音を立て、一人の生徒が転がり出てきた。 その男子生徒は、前屈みになりながらも必死にカメラとレコーダーを握りしめている。 「……、遅せぇぞ、久我っ! 何やってたんだよっ、オレがピンチになったらスグ出てくるはずだったんじゃねーのかよっ!」 「すまん。すまん。色々男の事情があってだな――」 前屈みで腰を後ろに突き出した奇妙なポーズのまま、それでも懸命に操作したデジカメとレコーダーを振ってみせる。 「なんだ? 腰でも打ったのか? だっせぇな。修行が足りねーぞ」 「…………、うん、まぁ、うん……、修行不足……です、うん……ごめん、ちょっとおしっこ」 久我は珍しく全面降伏を告げながら、もじもじとした歩き方のまま部屋を出て行き、亮はそれを不審気な顔で見送ったのだった。 |