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「ちょいちょいちょいちょい! あああああ、もう、これ、シャレになんないよ。何してくれちゃってんの、久我くん!」 秋人は深夜の寮をバタバタと走り回り、管理人室から医療バッグを持ち込むと必死に止血を開始していた。 特に左大腿部の出血は酷く、放っておけば大事になりかねない状況だ。 しかも、秋人の見ている前で、打撲、裂傷、擦過傷、打撲と、一斉に久我の傷は増えていく。 「だからさーもー、言わんこっちゃないんだって!」 現実時間とセラ時間の差は、こういうときにもどかしい。 一分一秒が、向こうの数十分に相当してしまう。 「向こうに敵がいたのか、それとも亮くんを連れ去った人間がセラへ戻ってきたのか……」 どちらにしても久我が窮地に立たされているのは紛れもない事実のようである。 「亮くんの身体を探しに行かなきゃなんないのに、久我くんも放って置けない状況になっちゃったな。どうする、どうする、僕。…………っ!」 と、ここで秋人は思いついたように携帯電話を取り出していた。 すぐさまどこかの番号を選択すると、耳に押し当てる。 「頼むよ……、頼む、早く出てくれ!」 ワンコールを待たずに、相手が通話口に現われてくれたのに、秋人は天を仰いで十字を切りたい気分だった。 『どうしたの、渋谷くん。トラブル?』 しかも相手は恐ろしく物わかりが早い。 「壬沙子さんっ! まだ学校?」 『ええ。校内の一斉検挙が終わって、今から引き上げるところだけど……』 本日の大捕物に伴って、いつもはオブザーバーであるはずの壬沙子がIICR側の人間として現場へ応援に入っていることを、今になって秋人は思い出したのだ。 「良かった、まだ近くに居るんですね!? 実は、亮くんが何者かに拉致されてしまってですね」 『なるほど。捕り物のどさくさに紛れてか。それはうちのミスでもあるかもしれない。……拉致されたのは肉体? それともアルマ?』 「りょ、両方なんです! アルマの方はシドが既に救出に向かってるんですが、肉体の方に手が回らなくて」 『深刻ね。わかったわ。状況を詳しく教えて』 「肉体が拉致されたのはおそらく十五分くらい前です。多分窓から亮くんを抱えて飛び降りたかと……」 『……高所の窓から容易に飛び降りたとなると、やはり相手はソムニアの可能性が高いわね』 「はい。音声だけは日頃の盗聴が役に立って残ってました。呟いていた言語はRPっぽい上品イギリス英語でしたからおそらく推察通りソムニアだと思います。それに、以前亮くんを手に入れたことがあると言ってたところを見ると、滝沢事件の協力者の可能性が強いです」 『ロイス・ガードナー……。あの男かもしれないわね。で、車は?』 「すいません、僕、完全に伸びてたもので、その辺りの情報はさっぱり……」 『了解。そちらの近くにちょっとしたざわつきがあるみたいだから、その辺りから探ってみるわ。渋谷くんはクライヴのサポート頼んだわよ』 「はい!」 ざわつきがある――という壬沙子の言葉の意味は正直分からなかったが、もしかしたら不審車両が発進したことで、IICRの検閲網に引っかかったのかもしれないと希望が湧く。 「こっちはこっちで久我くんが大変だ。……ソムニアってヤツは自分の命粗末にしすぎだっての! 生まれ変わったって、現在の人間関係が続けられるとは限らないんだからさ。もう少し大事に生きようよ……」 ヒューヒューと呼吸に雑音が混じり始めた久我に対し気道を確保しながら、秋人は渋い顔で点滴の用意を始める。 「しかし考えてみればシドの肉体がこんなになったとこ見たことないな。Cクラスと組んだらこんな感じなのか。……毎日バイオレンスだよなぁ」 久我が聞いたら怒り出しそうな感想を漏らし、秋人は久我の腕にゆっくりと針を刺していった。 IICRの現実世界での捕り物は、その規模に反し随分とひっそり行われたものだった。 アルマは一同に会していたためセラ内で警察局の中心班により一斉検挙となったが、肉体はそれぞれ個別の場所で日本警察とIICR地上勤の合同で執り行われたため、一箇所の逮捕劇はシンプルなものとなったのだ。 ただ、やはり今回の事件の中心となった学校には首謀者の何人かが残っていたのは事実だ。そこで壬沙子も首謀者逮捕の補佐として、IICR当局から召還されていた。 だがこれは正直名ばかりの頭数合わせに過ぎない。シドのような明らかな武闘派ならばともかく壬沙子の能力は戦闘向きではないし、そもそも肉体の捕縛は日本警察が全面協力してくれるため、たいして彼女のソムニアとしての能力は必要ではないのだ。 そんな『肉体の捕縛時にもIICRの人間が居た』という事実が必要なだけのこの仕事に、正直壬沙子は辟易気味であった。 だが、その仕事も一段落付いた頃掛かってきた秋人からの電話――。 その電話の内容に、『IICRのくだらない仕事も役に立つことがあるのね』と、息をついていた。 セラ内部の捕り物が終わったら、学校のリアル逮捕に協力すると言っていたシドが姿を現さなかったのはこういう訳だったかと納得する。 「アルマの方はクライヴに任せておけば大丈夫だけど――」 数台の車が理事長達を乗せ、静かに学校の西門を出て行くのを見送ると、壬沙子は夜風に乗って聞こえてくるざわめきに耳を澄ませた。 いや、正確には耳ではない。もっと頭のずっと上の方にあるアンテナのような物に意識を集中する感覚とでも言うのだろうか。 表向きは「ラグーツ種」としてアルマに対する薬剤師のような能力を持つ壬沙子であるが、本来は他人の意識を読み取る能力「ダガーツ種」であり、IICRトップ、ビアンコ直轄の諜報部員である『ヤザタス』に属している。 セラ内部ほど力を使うことは出来ないが、現実世界においても壬沙子のダガーツは周囲のあらゆる人の心を照らし出す。 普段は雑音を聞かないように閉じている能力を解放すると、すぐに旧寮の裏手に「怒り」や「興奮」を表す赤い熱気が燃え上がっているのが感じられる。 深夜、明るい月の照らす校舎裏を、壬沙子は走り出す。とても七センチはあるヒールやタイトなスカートを履いているとは思えないスピードで、壬沙子の肢体はまるで飛ぶように月夜の校内を疾走する。 ものの五分も経たない時間で、壬沙子の身体は旧寮裏手にある非常用備蓄倉庫前に佇んでいた。 少し乱れた髪を直し、コンクリート製の壁に身を寄せるようにして窓から中をうかがう。だが、呼吸はまったく乱れておらず、それどころかこの蒸し暑い夜に汗一つ掻いていないようだった。 小さな明かり取りの窓の中では、少年のうちの二人が苛立ちを押さえようともせず怒りを吐き出している様子が見て取れた。大音量で流されているであろう音楽は密閉性の高い建物のおかげで周囲にはあまり響いては居ないが、それ以上に大声で叫ぶ彼らの憤りは夜の闇に漏れ聞こえている。 「あの車、マジむかつくぜ。うちの教師か? 次見つけたら即廃車にしてやるっ」「やべ、うける。そんな怒るなって、おまえら。ただ足の上通過されただけだろ」「ばっか、人身事故だぜ、ひき逃げだぜ! 警察はナニやってんだ!」「警察なんかあてになるかよ。か弱い原付ばっか狙って取り締まるクズだし」「まぁまぁ、んなことよりせっかく買って来たんだから飲もうぜ」 話の筋から推測するに、校内から裏門へ急発進して出て行った車に、買い出しに出ていた二人の生徒の内、一人が軽い接触事故を起こしたようである。 当事者達はカンカンだが、買い出し組でない連中はどうでもいい様子だ。 「よぉ、加藤。高梨たちに言ってあの車探させてくれよ」 「は? あいつらがんなことで動くかよ。てかシルバーのおっさんセダンってだけで、後はなんも情報ねーじゃん。あいつらにどうやって探せってんだよ」 「だーかーら、俺写メったって! ナンバーだってちゃんと写ってるし!」 買い出し組の一人の生徒が周囲の連中に見せつけるように携帯電話をかざす。 「……おまえそれ、ティンクちゃん画像じゃん」 「え? あ? 違った、あれ、どれだっけ、これこれ……」 「工藤よー、俺轢かれてんのに、ティンクちゃん眺めてんじゃねーよ」 「せーな後藤、こう言うときこそ心を落ち着けるために愛の成分が必要なんだろっ」 その様子を眺めていた壬沙子は何かを思いついたように目を細め、間髪入れず倉庫の扉を開けていた。 思わぬ侵入者に一同の視線が一斉に壬沙子へと向けられる。 「こんばんは。突然だけどキミたちに、ちょっと協力をお願いしたいの」 「っ!? な、なんだおまえ……」 「てか、お姉さん、誰」 高いヒールに膝丈のタイトなスカート、淡いブルーのブラウスと黒の棒タイ。 いかにもキャリアな服装をした見知らぬ綺麗なお姉さんの突然の出現に、ボランティア部の不良生徒たちは目を見開き、ぽかんと口を開けている。 「ごめんなさい。話が聞こえてしまったから……。実はあなたを轢いた車を私も探しているのよ。その写メ、見せてくれない?」 つかつかと歩み寄る壬沙子に、工藤は咄嗟に携帯を背中へと隠してしまう。 「なんで見せなきゃなんないんだよ。おまえ、教師か? 警察か?」 「私はある芸能プロダクションのマネージャーをしている者よ。実は今、もうすぐデビューを控えているタレントの一人がさらわれてね……。この学校の寮に所用があって尋ねてきていたのだけど、そこをライバルプロダクションに狙われてしまったの。相手は無茶をする会社で、やくざをやとって裏では酷いこともしているわ」 「はぁ!? タレント? んなの俺らにはなんも関係ねーし」 「どうしてもっていうなら、この写メ閲覧一回十万円出してよ、おねーさん」 轢かれた本人である後藤がニヤニヤ笑いを浮かべながらふっかけてくる。 だが壬沙子はそれも想定内であるようで、表情一つ変えず、自分のスマホをいくつか操作すると、とある画像を彼らに見せつけていた。 「っ!!」 「嘘だろ……」 「まじか……」 「おぉぉっぁぁあぁ……!」 不良生徒達の目が見開かれ、食い入るように壬沙子の手元へぐいぐいと顔を寄せてくる。 そこに写っていたのは、白いミニのロリータドレスを着せられ、長い髪のウィッグを身につけた亮の姿――。 セブンス時代に撮られたという亮の写真をレオンが何枚か隠し持っているということを、壬沙子はしっかりと知っていたのだ。 (便利な世の中よね) スマホから勝手にレオンのクラウドに進入し、一枚写真をちょうだいすることくらい、わけはない。 「この子が私のタレントよ。もしかしたらあなた方も会ったことあるんじゃないかしら」 壬沙子の言葉に四人とも無言でうなずきつつ、画面をガン見だ。 「実はこの子、この学校の生徒にしつこくつきまとわれていてね……」 「あ、ぁあ。久我のクソ野郎のことか。って、やっぱあいつが強引に連れ回してたんだな!」 「だよなー、俺もそう思ってたんだよ。あのティンクちゃんがあんな顔だけの男にホイホイついていくわけねーんだって!」 「ああ、やっぱり女神だ。あの子は女神なんだよっ」 肩をたたき合って語り合う彼らに壬沙子は続ける。 「あの子、もうすぐデビューってこともあって、一人で話し合ってくるって出ていってしまったの。こんな時間に一人じゃ危険だからって止めようと追いかけたんだけど……」 「そこで別のヤツにさらわれちまったってことか」 「ええ――。私の不徳の致す所よ」 「留学だなんて先輩言ってたけどよ、留学じゃなくてデビューだったなんて……。大人の事情ってやつなんだな」 「ゆるせねぇ……。久我もゆるせねぇが、それ以上にそんながんばり屋さんな子をどうにかしようっていうライバル事務所がゆるせねぇっ!!!」 「俺たちの力でティンクちゃんを助けようっ」 「お姉さん、これ、使ってくれよ! 俺らでよければなんでも力を貸すぜっ!!!」 熱い炎を吹き上げる眼光で、四人のボランティア部幽霊部員たちが立ち上がっていた。 白。白。白一色。 床も、壁も白いセラミックで覆われ、天井から降り注ぐ淡いミルク色の光りをちらちらと反射していた。 周囲八メートルほどの円形状のその部屋は、その色のせいか、それとも置かれている物があまりにも少ないせいか、実際の大きさよりも随分広く見て取れる。 真っ白な部屋の中央には、小さな診療用ベッドがぽつんと一つ。そしてその横にいくつかの道具が並べられた銀の台が置かれているだけだ。 一見何の変哲もないこの部屋には、一箇所だけ異様に目を引く場所がある。 それは天井――。 八メートルほどの円形の天井一面が、揺らいでいた。 原因は――水だ。 そこには巨大な水槽が嵌め込まれているようで、この部屋の光源はその淡い乳白色の水の向こう側から差し込んでいる。 水槽の中にはいくつもの影がゆらゆらと漂っている。 強い逆光と不透明な水のせいではっきりとは確認できないそれらの影は、時折自らの意志で動いているようにも見えた。 男は見慣れた己のテリトリーに足を踏み入れると、中央に置かれたベッドを眺め、目を細める。 そこには男が求めて止まなかった、少年ゲボのアルマが、安らかな寝息を立て横たわっていた。 学園の夏服に身を包んだ少年は、まぶた一つ動かさない。 男は急きそうになる己の足取りを敢えてゆったりと進めベッドへ歩み寄ると、投げ出された少年の右手を取り、そっとベッドへ乗せてやった。 「ああ……、なんて乱暴な真似を。自ら噛みきったのですか? 亮さん。せめて刃物を使ってください。傷が残ったらどうするんです?」 男は困ったように眉を寄せ、そのまま少年の手首の傷を、指先でなぞっていた。 すでに血は止まっているが、いびつな傷跡は生々しい赤で彩られている。 「召還、したのですね、異神を。しかもついさっきだ。……まったく、ゲボが異神を呼び出すなど、現代では許されない行為ですよ。本当にあなたは無茶をする……」 男はひざまずき、身を折ると、亮の手首の傷に唇を寄せた。 ゆっくりと唇を押し当てると、大きく息を吸い込み、震えるような熱いため息を吐く。 「本当は無理をさせたくはないのですが、私もこの日を待ち望んでいたのです。もう、いっときだって待てやしない。ほんの少しだけでいい――、あなたのアルマ血をいただいてもいいですか?」 身をかがめたまま、男は腕を伸ばし亮の髪を撫でる。 「少しだけ――。少しだけです」 男は立ち上がると銀の台に置かれた道具の中から、大きなガラス製の注射器を取り上げていた。 先端には管を取り付け、小さな採血用針の包装を解く。 アルコール綿で左腕を消毒すると、彼の手は慣れた様子でゆっくりと銀に光る針を亮の白い肌へ差し込んでいく。 すぐに紅い液体が透明の管へとせり上がり、男は少しずつ、少しずつ、注射器のピストンを引き上げ始める。 「はぁ…………」 言葉もなく熱い吐息が男の口から漏れた。 輝くような紅い雫はとろとろとガラス管の中へ導かれ、男は恍惚とした眼でそれを眺める。 「これが、亮さんの魂の血。……肉体血とは違う、ピュアで彼そのものの血。……美しい。なんて美しい……」 ぶつぶつと独り言を呟く彼の声に、ひくりと少年の指先が動いた。 時を置かず閉じられていたまぶたがゆっくりと開かれていく。 亮はぼんやりとした様子で目を開け、まず最初に天井を眺め、次に眩しそうに目を細めるとそばにいる男の顔を眺めていた。 「お目覚めですか、亮さん」 男がかすかに英国訛りのある日本語でそう聞くと、亮は一度ゆるりと瞬きをし、わずかに首を傾げる。 後ろへきっちりと撫でつけたダークブロンドの髪と、細い目の奥から覗く理知的なブラウンの瞳。三十八歳という年齢より幾分老けて見えるのは、その熱の欠片もない冷めた目の光のためであろうか。細い金属フレームのメガネは、彼のユニフォームである白衣と相まって、ますます彼を冷たい印象に見せている。 「ガードナー……さん?」 そこにいたのは亮も良く知る採血官――ロイス・ガードナーである。 何故彼がここにいるのだろうと、亮は鈍い思考を巡らせ、己の血がガードナーの手によって採られていることに気づくと、ようやく合点がいったように微笑んでいた。 「今日は、採血の、日?」 天井で光が揺れていた。 淡い白の中に、いくつもの影がたゆたい、時折亮と目が合う。 天井の向こう側から、何人もの一糸まとわぬ亮が、亮を不思議そうに見下ろしていた。 ――あれは、何なのだろう。 ――どうしてオレがこんなにいっぱいいて、オレのことを見下ろしているんだろう。 ――そう言えば、さっきもたくさんのオレに囲まれていた気がする。 ――これは、夢なのかな。 ――召還失敗して、異神に食べられて死んじゃったのかな。 ――それとも、さっきまでのがずっと夢で、オレはまだセブンスにいるのかな。 どれもが現実感の欠片もない嘘に思えたし、どれもが現実そのものにも思えた。 ただ、とても疲れていた。 全身が鉛のように重く、指先を動かすことすら億劫に感じられた。 気を抜くとまぶたが下がり、意識が落ちてしまいそうになる。 朦朧とした亮の頬を、ガードナーが優しく撫でていた。 「そうですよ。今日は待ちに待った採血の日です。お疲れでしょうが、これもお仕事です、がんばってください」 ガードナーの言葉に、亮は小さくうなずくと「そっか」と声を漏らす。 こんなに疲れているのは、セブンスの仕事が大変だからだ。昨日もたくさんおもてなしをしたのだろう。誰が来たのか覚えていないが、たぶんシュラ以外の誰かに違いない。――亮は断片的に散らばる記憶をつなぎ合わせ、自分の中でそう結論づける。 「ノーヴィス、は?」 亮の問いかけに、ガードナーはぴくりと眉を持ち上げると、少し間をおいて口許を弛めていた。 「外で、待っています。今日はいつもよりゆっくりと――、ゲボのお仕事をしていただかなくてはならないので」 亮は「ふぅん」と言うと、再びそっと目を閉じる。 ガードナーは乾いた己の唇をそろりと舐めていた。 ――成坂亮は意識障害を起こしている。 その事実にガラス管を掴んだ手が僅かに震え始めていた。 どんな異神を召還したのかはわからなかったが、おそらく未熟なゲボが呼び出すには不相応な、やっかいな相手だったのだろう。 ソムニアである彼がセラで確固とした自我を保てないほどに、消耗しているのだ。 「亮さん……。採血は、お好きですか?」 震えそうになる声を抑え、ガードナーはそう聞いてみた。 亮は一呼吸置くと目を開け、微笑みながら「好き」と答える。 セブンスで必死に全てをこなそうとしていた、あの日々の亮がそこにはあった。 いつもひたむきで、無垢で、何も知らない少年ゲボ。 他のゲボが嫌う採血ですら、彼にとっては憩いの時間だった。 「ですが、今日はこの辺りでおしまいにしましょう」 我知らず、ガードナーは亮にそう宣言していた。 狂おしい何かがガードナーの中にせり上がってくる。 正確無比が売りのハガラーツである自分が、今にもガラス管を落としてしまいそうなほど、指先の感覚がおかしい。 「どして? ォレ、まだ、大丈夫だよ?」 この少年は採血を中断されるのをいつもとても恐れていた。 今日もまたあの日のように、ガードナーに採血の続きをしてくれとせがむのだ。 「して、欲しいの、ですか?」 「ぅん。オレの血、もっと、採って、ガードナーさん」 ぞくり――と冷血な研究者の背筋に、淫靡な疼きが這い上る。 針を亮の白い腕から引き抜くと、スルスルと紅い雫が跡をつけてしたたり落ちていく。 ガードナーは身をかがめるとその暖かな血潮に舌を這わせていた。 ほんの僅かなそのしたたりを、舌を鳴らして飲み下していく。 「っ!? ガ、ドナー、さん?」 今まで一度だとてあり得なかったその直接的な行動に、少年は驚いたように声を上げ、身を引こうとする。 その腕をガードナーは強い大人の力で捕らえていた。 「検査、ですよ? 亮さん。動かないでください」 そう言われれば亮の動きは止まってしまう。 「言ったでしょう? 今日は採血だけでなく、ゲボのお仕事をしていただくと。検査は大事なお仕事です」 「これ、検査? 舐めたり、するのが?」 「そうです。コレも大事な項目の一つですよ。あなたの血液の味を採血官の私が知らなくてどうしろというのです?」 「…………」 少年は怯えた様子で黙り込んでしまった。担当官である彼がそう言うのなら、おそらくそれは正しいことなのだろう。 そう、頭ではわかっているが、心の内では張り裂けんばかりに拒絶が膨れ上がっている表情だ。 つかんだ亮の細い腕の緊張からも、ガードナーにはそれがひしひしと伝わってくる。 この少年はいつもこんな表情をしていて、それでも採血官としてのガードナーを信じ、身をゆだねてくれた。 血中のアドレナリン値が急上昇しているのが、己でもわかる。 異様に喉が渇き、鼓動が早い。 ――私は、興奮、しているのか……。 ソムニアの研究が彼の全てであり、彼は何世代にも渡ってそれだけを人生の目的に過ごしてきた。今とてその思いや情熱に変わりはない。 成坂亮は彼にとって貴重な、何者にも代え難い研究材料であり、ソムニア史にとっても特別な何かであると信じている。その為に自分は潤沢に資金の使えるあのIICRの研究員という地位まで捨て去り、このような日陰の身に甘んじているのだ。 だから、興奮するのはあくまでも研究対象としてであり、学術面での問題のはずである。 だが――。 微かに震える張り詰めた細い筋肉の感触に触れて、自分はおかしくなった。 ……いや、その前からだ、とガードナーは己で思い直す。成坂亮があの日のままにここにいると気づいた瞬間から、己の中の別の脳領域にどろどろとした薄暗い火が点ったに違いない。 脳髄の奥深くからどろりと熔けた溶岩のごとく、熱い何かがあふれ出てくる。 「大丈夫です。痛いことはしません。ゲボとしての能力をもう少し詳しく査定するだけですから。……協力していただけますか?」 研究者然としながら手にした注射器をしまい、ガードナーは事務的な口調で問いかける。 そうされれば亮は否を唱えられないことを、彼は良く知っていた。 「はぃ……」 「よろしい。亮さんは偉いですね」 そう褒めると亮はいつも困ったような笑みを浮かべて下を向いてしまう。 今もまた、亮は青ざめた頬に戸惑ったような微笑を浮かべ、視線をどこかへ逸らしていた。 ガードナーの唇から熱い吐息が漏れた。 こんな成坂亮にしたくてもできなかったこと――。 IICRのしきたりに縛られ、近くにいるのに手が届かなかった存在。 それが今、彼の手の中にある。 ガードナーはIICRの庇護を失った代わりに、あの頃食べることの叶わなかった果実を、その手にもぐことが出来たのだ。 ――まがい物のコピー達とは違う。本物の八番目のゲボ。 「では、着ているものを少し取らさせていただきますね」 「えっ……。服、脱ぐ……の?」 「検査ですから」 硬い口調でそう言えば、亮は黙り込み小さくうなずく。 ガードナーの器用な指先が亮のシャツのボタンを一つずつはずしていき、ズボンのベルトも弛め、下着ごと一気にはぎ取っていく。 亮は身をいざらせ少しぐずるように抵抗したが、ガードナーが戒めるように彼の名を呼んだだけで、うつむき、泣きそうな瞳を揺らしたまま身をゆだねていた。 「そう……、いい子です。すぐに、済みますからね……」 ガードナーはベッドの上に片膝でにじり上がると、亮の足首をつかみゆっくりとその両足を広げていく。 「っ、や……」 「動かないでください。亮さんの精液をほんの少し、もらうだけです。あなたの身体はあなたの物ではない。IICRが所有する物なのです。様々な細胞を採取するのは当たり前なのですよ?」 ガードナーは怯える少年の目を真っ直ぐに捕らえていた。 いつもの事務的な口調と冷たい眼差しに、亮は何か言いたげだった唇を引き結ぶと、視線を逸らし身体から力を抜いていく。 「神聖な研究に対して良からぬ恥じらいを持ってしまう方が、恥ずかしいことですよ。亮さんはいつもそんなことばかり考えているのですか?」 「ちが……、そんなの、ォレ、は……」 青ざめていた頬にわずかに朱をのぼらせ、亮は小さくかぶりを振っていた。 「何が、違うんです?」 硬い声音でそう言うと、ガードナーは顔を少年の股間に埋め、未だ柔らかな未成熟なそれを音を立てて飲み込んでいく。 ちゅるり……と、唾液の絡んだ空気音をさせながら、強く吸い上げていた。 「っ、ぁ……、ん……」 いつも事務的に採血のみを行う担当官が、採血の時間に自分の陰部をしゃぶっていることに、少年は戸惑いと恐怖を隠しきれずガクガクと震え始めていた。 だが、ガードナーの言葉は亮にとって正しいことのはずである。 混乱でかすかな恐慌をきたし、亮は半身を起こすとガードナーの頭を押し返そうと手を掛けていた。 しっかりと整えられた髪が乱され、ダークブロンドの髪がガードナーの白い額へと落ちかかる。 その手をガードナーの右手が捕らえ、強く握る。 「ほら。やはりあなたはこの神聖な行為を嫌悪している……。何を妄想しているのやら。あなたはゲボとしてちゃんとした子だと思っていましたが、本当はとても恥ずかしい子だったのですね」 ガードナーは嗜めるようにそう言うと、咥えていた幼い花心をべろりと舐め上げ、先端をこじ開けるように舌先をぐりぐりと動かしていた。 その動きに亮の柔らかだったそれはヒクンと反応し、わずかに立ち上がり始めてしまう。 「ちがぅ……、だって、ォレ……」 「はぁ……、亮さん……、採血官である私に対し、いやらしい妄想をしながらこんなところを硬くしてしまうなんて……。本当に、いけない子だ……」 ガードナーはさらに身を乗り出し亮の腰を抱え上げると、後ろの花冠にも舌を這わせていく。 「んぅ……っ、ぁ、ゃぁ……」 弱々しく押し返そうとする亮の手を放置し、もはやガードナーは荒い呼吸を隠そうともせずに、亮の秘部にむしゃぶりついていた。 己の唾液を絡めた二本の指を、こじ開けるように亮の窄まりへ挿入していく。 「内部からの刺激にはどう反応するのか、少しだけ、検査しましょうね……」 「ぃぅ……っ、ぁ、ぁ、ゃ……」 ハガラーツの指先は、内部を少し探っただけですぐに亮の反応するポイントを暴き出し、機械の精密さでそのポイントだけをえぐり上げる。 こりこりとした前立腺の感触を味わいながら、ガードナーは亮の中でゆるゆると指先を動かし続けた。 その度にびくんびくんと亮の身体は跳ね、ガードナーの目の前で幼い花心はいやらしく張り詰めて涙を流し始める。 ガードナーは大きく口を開けると小さなそれを奥まで飲み込み、じゅるじゅると音を立てて何度も何度も吸い上げていた。 「ゃら……、がーどな、さん、けんさ、やだ……っ」 亮の声は悲鳴に近かった。 困惑と懐疑の中、単調に、だが正確無比に与えられる純粋な快感は、恐怖以外のなにものでもない。 「お仕事、できない子は……、大事な物が、なくなってしまいます、よ? いいんですか?」 小さな二つの玉を口の中で弄ぶと、ガードナーは荒い息のままそう言った。 途端に押し返そうとしていた亮の手の動きがぴたりと止まる。 「私は、いつでも検査をやめて、かまわないのです。ですがその場合、ガーネットに……亮さんが検査を嫌がってできなかったと……、そう報告することに、なりますね」 「だめ、だ……、それ、だめ……」 「では、どうするんです?」 「……っ、ごめ、なさい……。ガーネット、さまに、は、言わないで、くだ、さい」 「検査は嫌、報告もだめ、となると、困ってしまいますね。……それともちゃんと、できるのですか?」 ガードナーの言葉に、亮は震えたまま、かすかに小さくうなずいた。 「言葉で言ってください」 「ちゃんと……、できます。オレ、ちゃんと、できる。……検査、して、くださぃ」 「私を信用していただけますか?」 「……っ、ガードナーさん、よろしく、おねがいします」 虚空に視線を泳がせながら、成坂亮は弱々しくそう口にしていた。 落ちかかる前髪もそのままに、ガードナーはその様子をじっと眺め、ごくりと唾を飲み込む。 「偉いですね、亮さんは……」 そう呟くと、顔を眺めたまま亮の中に入れた指先をぐりぐりと突き動かす。 「ひぁっ……、ぅ……」 声を我慢しようと唇を噛み締め、必死にかぶりを振って快楽に耐える亮の表情に、ガードナーの目の下の筋肉がぷるぷると震え始めていた。 「亮さん……、なんですかその顔は……、いやらしい……。いつものようにはにかんで綺麗に笑ってくださいよ。ただの検査だと言っているのに、なんていういけない子だ」 再び亮の股間に顔を埋めると、ガードナーは無心に内部の指を動かし、幼根にむしゃぶりつく。 「ぁ、ぁ、っ、……、ひぁ、……」 耳を塞ぎたくなるような水音を立て、ガードナーは亮のそれを強く吸い上げると、指先をコリコリとしたポイントへえぐり込んでいた。 「っ!!!」 ビクンと亮の身体が跳ねた。 ガードナーの口の中で、甘美なゲボのミルクがとろとろと吹き出していた。 亮の幼根はぴくぴくと小動物のように痙攣し、ガードナーはその感触を楽しみながら、最後の一滴まで、亮のミルクを飲み込んでいく。 「……ぁはぁ……、っ、これが、成坂亮のアムリタ……。アルマから直接、私は飲んだのか……」 カラークラウンとてゆるされない行為を、ガードナーはたかが一研究員の身分で行ったのだ。 以前、アルマの抜けた肉体から亮の精液を摂取したことがある。だが、その時のものとは次元が違っている。 全身のアルマが活性していくのが己自身でわかる。 今なら神の手業で人間のアルマですら設計図通りに作れそうな気がした。 荒い呼吸のままぐったりとした亮の上へ、ガードナーはそろりそろりと覆い被さっていく。 恋人のように唇を重ねてみた。 「ぅ……っん……」 朦朧とした亮の唇へ舌先をねじ込み、以前は我慢した深い口づけを施していく。 歯列をなぞり、舌先を絡め取ると吸い上げ、亮の中に己の唾液を流し込んでいく。 「っ……、亮、さん……、検査を、続けますよ?」 「…………」 亮はぼんやりと目を開けると小さくうなずく。もはや言葉の意味も理解せず、機械的にそのように反応しているようにしか見えなかった。 だがそれでもガードナーはかまわなかった。 成坂亮を採血官として陵辱するという倒錯は、彼を研究者ではなく男として欲情させるようだった。 ガードナーは時を忘れ、少年の胸元に舌を這わせ始めていた。 |