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ぴちゃぴちゃと湿った音が聞こえていた。 生ぬるい舌が首筋から鎖骨や胸元を這い回り、汗でじっとりと濡れた指先が亮の身体の細部まで探ろうとぬるぬると動き回る。 亮が少しでも身を固くする場所を発見すれば、執拗に、だが的確にそこをこね回し、舌を這わせ、吸い上げる。 「腕を上げて、亮さん……、そう……いい子だ……」 熱に浮かされた声で呟くと、ガードナーは亮の左腕を持ち上げ、脇の下を舐め上げる。 「……っ、」 普段人に触れられないそこを何度もねちっこく舐め上げられ、その不快さに亮はぞくりと身をすくめると、ぎゅっと目を閉じて唇を噛み締めた。 ふるふると震える細い筋肉を掴んだ手先から感じ取り、ガードナーはさらに息を荒げながら、白く柔らかなくぼみに鼻先を突っ込んでいく。 「ふ……、なんですか、これは。つるつるのすべすべじゃないですか、亮さん……、もう十六になったんでしょう? こんなすべすべしてるなんて……、は……、ふ……、っ、なんですか、これは……」 「ぅ……ぁ……」 脇の下を吸い上げながら、責めるように胸の先の尖りをぎゅっとつまみ上げられ、亮はびくんと身体を反らせる。 亮の身体が未発達であることを一つ一つ確認されながら責められる行為は、亮のプライドを砕き、羞恥を否応なく煽られることである。 ゲボである恥ずかしさと哀しさが凍てつく針のように、亮を貫いていく。 「……も……、やだ……、も……、」 「嫌だという割りには、ここはつんと起ち上がってしまっていますよ。恥ずかしいことを指摘されて性的な部位を勃起させるとは、困った癖ですねぇ」 ガードナーは亮に覆い被さると、つまみ上げられ痛いほどに尖りを見せている、桃色の胸の先をちゅっと吸い上げ、右側の飾りもくりくりとこね回す。 「っ、……、」 ビクンと身体を固め、亮は反射的にガードナーの頭を押し返そうと手を掛けるが、亮の胸飾りに舌を伸ばしたまま上目遣いに睨み上げる採血官と目が合い、その動きを止めてしまう。 眼鏡の奥の酷薄な瞳は、は虫類のごとく温度を感じさせない。 だが、じっとりと冷たくぬめりを帯び、滴るような欲望がじらじらと垣間見えるのだ。 「これはガーネットに報告しなければ……」 「……っ、やら、……だめ、がーねと、さまに、いわないで……、ゃら、……、やだ……、」 「では嫌ではない、ということですか? 亮さんは私に検査されるのが心地よくて、このように乳頭やペニスを硬化させてしまうと?」 耳元で熱い吐息に混じり、そう聞こえた。同時に、亮の幼根がくちゅりくちゅりと弄られ始める。 「……っ、ゃ……」 必死に首を振る。 これが検査なのか、なんなのか、亮にはもうわからなかった。 いつも事務的にしか触れ合わなかった採血官の言葉はいつも通り学術的な響きを持っていたが、その内容は聞くに堪えない淫蕩なものだ。 嫌らしいセリフを真面目な言葉で囁かれ、亮の混乱はますます悪化していく。 だが強烈な嫌悪感とは裏腹に、ガードナーのハガラーツは亮の幼根の最も感じる場所を擦り上げ、亮の身体を快楽の高みへと引きずり上げていく。 「嫌? 嫌なのに亮さんのペニスはこんなに濡れて私の手をぐちゃぐちゃに汚していますね……。このような癖を持つ子だという報告書をまとめなくてはいけないのですよ。私も仕事ですから……」 「ゃら、ちが、ゃらっ」 「では、気持ちいいのですか? 私の検査が気に入ったと?」 「……、」 それでも亮はかぶりを振る。 嫌だった。 這い回る採血官の指先も、舐め回す採血官の舌も、卑猥な言葉と共に耳朶に吹きかけられる生臭い息も、そして無理に高められる自分の身体も――。 何もかもが気持ち悪く、恐い。 助けて!――と、叫び出しそうだった。 「亮さん? ちゃんとできない子は、大事なものを失くしてしまうんですよ?」 痛いほどに起ち上がった幼根の先端をぐりりと親指の腹で潰され、亮は声なき悲鳴を上げて腰を突き上げる。 「おやおや、誰かに挿入もしていないのに腰を動かして――、なんて酷い誤動作だ……」 「きち……、ぃぃ、です……」 「え?」 亮は虚ろな目のまま、小さな声で呟き始めていた。 ガードナーは眼鏡の奥の瞳をじっとりと細め、亮の顔へ顔を寄せる。 「がどな、さんの、けんさ、きもち、ぃ、です」 検査は気持ち悪かった。 ガードナーは恐ろしく、何もかもが嫌悪の塊でしかなかった。 でも――。 「では、私の検査が気に入ったのですね? 先を続けて構いませんか?」 大事な物が失くなるのは、もっともっと恐ろしかった。 だから――亮はこくりとうなずく。 虚ろな目のまま、口許だけ微かに微笑ませる。 「がどな、さんの、けんさ、きにいり、ました。……だから、けんさ、つづけて、ください」 大事な物ってなんだっけな――、と、亮は考える。 もうずいぶんと前からそれがなんなのか、思い出せないのだ。 だがもし、それが亮から、亮の世界から消えたとしたら――そう考えるだけで、息も出来ないほどの恐怖と喪失感に苛まれる。 「では次はこの針を使いましょうか。これであなたの身体をもっともっと詳しく知ることができる」 ガードナーはサイドテーブルから小さな道具箱を取り出し、中から極細の銀光をつまみ上げると、亮に見せつけるようにべろりと舐めていた。 「それに――、私の検査のことしか考えられなくなるほど、好きになってもらえるはずです」 亮の身体が恐怖で竦む。 あの針を、亮は身体に突き立てられるのだろう。 ぶるぶると身体が震えたが、それでも亮は微笑んだままうなずいていた。 「針、刺して、オレの身体、いぱい、しらべて、ください……」 恐かった。でも、大事な物が失くなるよりずっとマシだ。 きっとこれを我慢すれば、亮はまた大事なものを守れるのだ。 そう思えば、こんなの全然平気だ、と思った。 「助かりますよ、亮さん。あなたが検査に協力的でいてくれて――、これならガーネットに悪い報告をしないで済みます」 ガードナーが微笑むと、亮はほっと息をつく。 今言った自分のセリフは正解だった。ちゃんと間違えないように、ガードナーが望むことを言って、望む行動を取ろう。そうすれば、大丈夫だ。 亮は失くさない。 「最初はお胸を調べてみましょうか。いえ、大丈夫ですよ? 心臓に近い部分なので短い針にしておきますから」 ガードナーは箱の中から長さ一センチほどの小さな針を取りだしていた。 細い針の頭の部分に小さな銀の珠が光っている。 震えながら動きを見つめる亮の前で、ガードナーは亮の左胸の飾りを強くつまみ上げると、手にした小針を真上から中心へつっぷりと差し込んでいく。 「っ、ひ……」 恐怖で亮の身体が強張るが、ガードナーは構わず、くりくりと針の珠を回しながらゆっくりと挿入を続ける。 「そう……いい子です。……ほら、ここ、お好きでしょう?」 針を中程まで入れたところで、ガードナーはぐりっと強く針珠を捏ねていた。 「ふぁっ……!」 胸を突き出した格好のまま、亮の身体が魚のように跳ねていた。 「ここを引っ掛けたまま、もっと奥の気持ちいいところを探りましょうね……」 「ぁ……ぁ……、っ、ひ……」 亮は元から胸を責められることに弱い。 それが神経に直接針を刺され、刺激を与えられてしまえば、亮の身体は否応なく反応をさせられることとなってしまう。 ましてやハガラーツであり、人のアルマを知り尽くすガードナーの技術は常軌を逸している。 「ここ、でしょうか」 先端をくりくりと泳がせていたガードナーは、ぺろりと己の唇を一舐めすると、ぐいっと一気に針先を押し込んでいた。 「ぎゃんっ!」 犬のような悲鳴を上げ、亮の身体が跳ね上がった。 ぴんぴんに起ち上がった少年の左胸の先に、小さな銀の珠がぽっちりと光っている。 美しい銀珠は乳首の震えに合わせて小刻みに揺れており、ガードナーはそれを眺めて「ほぅ……」と熱い息を漏らしていた。 「お胸でそんな大きな声を出されては、先が思いやられますよ、亮さん……」 「ぁ……ぁ……ぁ……、ひん……」 ゆるゆると珠の先を捏ねられ、今度は悲鳴ではなく、己で耳を塞ぎたくなるほど甘く切ない声が亮の口から漏れていた。 胸の神経に直接針を打ち込まれ、与えられる刺激は亮の脳髄を快楽物質でとろかしていく。 自分の真上にガードナーの顔が近づいてきてキスをされる。 生ぬるい舌先を飲み込まされ、とろとろと唾液を流し込まれる。 知らない匂い。 生ぬるい指先。 熱い鼻息。 気持ち悪い。 気持ち悪い。 口づけされながら、胸の針珠を爪の先で強く弾かれる。 「っ!!! ん、ぅ……、ん……」 びくんと身体が跳ね上がった。 しかし構うことなく、ぐりぐりとこね回され、針を飲み込んだままの乳首をぎゅんと引き上げられる。 「ぅ……ん、……っ、んんんっ!!!!」 亮の腰は我知らず突き上げられ、目を見開いたまま熱い迸りを何度も放出してしまっていた。 己の腹に熱い液体がぱたぱたと落ち、亮の身体はがっくりと力を失う。 「っ、は……っ、はぁ……、はぁ……、っ、検査途中だというのに、射精してしまうとは……、しようのない子だ……。はぁ……、」 ガードナーは亮のへそに溜まったミルクを舌でこそげ舐め取りながら、己のベルトを弛め、大きく起ち上がった性器を取り出していた。 その先端はすでにてらてらと濡れそぼり、軸には赤黒い血管がぼこぼこと浮き上がって脈動を刻んでいる。 「ペニスにも針を挿入して検査をしようと思っていましたが、……その検査は後回しにしましょうか。性器に触れられてもいないのに、乳頭を少し弄られただけで射精してしまうような淫蕩な男の子には、こちらの検査の方が嬉しいでしょう?」 ガードナーは震える声を隠そうともしないまま、一気にまくし立てると、亮の足を抱え上げ、己の性器を少年の淡い窄まりへこすりつけ始める。 何をされるのか、亮には考えるまでもなくわかっていた。 採血官のものを、お尻の穴へ入れられるのだ。 入れられて、何度も何度も奥を突かれて、肉のぶつかる嫌な音がして、それで中に熱くて気味の悪いものを流し込まれる。 またか、と思う。 また、あれをされるのだ。 もう、慣れた。いつものことだ。 ちょっと我慢すればいい。 裂けそうな痛みも、お腹が痛いのも、気持ちの悪い絶頂を強要されるのも、目を閉じて、ちょっと我慢していれば終わるのだ。 「以前はあなたの身体を置いたまま引かざるをえませんでしたが――、今日は違う。もう、あなたは私の物だ。私の、私だけの被験体だ……。……はぁ、……ゲボの、アルマを直接味わうなど……、記録を全て、とっておかなくては……。余すところ無く、全ての記録を……」 ぶつぶつとガードナーは呟きながら、亮の頬を舐める。 「ああ……、可愛らしい顔だ……、八番目のゲボ、成坂亮――」 平気だ。 こんなの、平気だ。 亮はそう己の中で繰り返しながら目を閉じる。 ぼんやりと見えるような気がする亮の宝物。 あれを、守らなきゃだめだから、亮はこんなこと、全然平気なのだ。 あれ、とは何だろう、と、考えてみる。 だが雲を掴むように、手を伸ばせばそのイメージは消えてしまう。 思い出せそうで思い出せない。 そして思い出せないことが亮の焦燥感を煽り、亮の混乱を加速させてしまう。 思い出せないけど、大事。 何かわからないのに、消えたら困る。 平気なのに、気持ち悪い。 平気なのに、恐い。 助けて――。誰か、助けて――。 「亮さん……、言って、ください。ほら、……私にどうされたいのです? 言うのです、トオル・ナリサカ」 「……っ、ォレ、は……、がーどな、さんに……」 言わなきゃいけないことは、わかってる。 亮がセブンスでよく言わされているあのセリフだ。 ください。 亮に、誰々さんのおっきなもの、入れてください。 いっぱいいっぱい、奥まで突いて、中に誰々さんのミルク、いっぱい注いでください。 こう言えば、カラークラウンたちはご機嫌になり、亮は仕事を果たすことができる。 仕事を果たせば、亮はいつか帰れるのだ。 いつか、ずっと遠い遠い未来に、あの場所へ。 「……がーどなー、さんに、入れて……ほし……」 涙が溢れた。 平気なのに、おかしいな、と思った。 平気なのに、胸の奥がつぶれそうだ。 帰る場所。 帰れるあの場所って……、そんなの、どこにあるんだよ。 「どうしました? 言われたとおりにできないのですか?」 「……っ、でき、る……。ちゃんと、できる、……、ォレ……」 涙が止めどなく溢れ、呼吸が苦しい。 ああ――、もう、駄目だ。 こんなのもう、耐えられない。 ホントは、嫌なんだ。 ホントは、気持ち悪い。 ホントは、こんなこと言いたくなんかない。 けど、会いたいんだ。 もう一度、会いたい。 会いたい。 誰に? わからない。 帰りたい。 どこに? それも、わからない。 でも。 でも、帰りたい。 帰りたいよ。 だから、もう一度、頑張ろう。 がんばれ、オレ。 「ちゃんとできるはずなのに、なぜそんなに泣くのです? 困った子だ……」 大きく腰を抱え上げられ、熱く硬いものが亮の秘部へ押付けられる。 「ひ……っ、」 ぎくんと身体が強張る。 呼吸が我知らず速くなり、痛みが酷くなるとわかっているのに身体は拒絶し全身に力が入ってしまう。 手に届きそうなイメージ。 亮の帰りたい場所。 手を伸ばしてみる。 朱い色の、そのナニカ。 「今は言えなくても、すぐに心から言えるようになりますよ、亮さん……。私のハガラーツで身体の奥の奥まで、研究しつくしてあげますから……」 見えかけた、朱い色の何かに手を伸ばそうとした瞬間。 「っ、ぁ、……、ぅ…………っ」 ガードナーの熱く滾ったそれが亮の小さな窄まりをこじ開け、突き入れられていく。 悲鳴を押し殺す亮の顔を見下ろしたガードナーは、その先端に感じる締め付けに喉の奥を震わせ、動物的な呻きを上げる。 「ぅ……っ、ぁ……、亮、亮、トオル、パパのが入るよ……、パパのがトオルの中に入っていくよ……」 陶然と瞳を揺らしてガードナーが呟く。 「……っ、ゃ、……」 嫌だ。 胸の中で亮は叫んでいた。 もう慣れたはずのその行為に、狂いそうな嫌悪感が湧き起こる。 半年前は我慢できたことが、今はもう、できない。 「ゃだ……っ、やだ、っ、やだ、…………っ」 「そんな駄々をこねると、大事な……物が、なくなりますよ?」 大事な、もの。 なに? 嫌だ。 助けて、 「シ――」 混乱と嫌悪と焦燥の中、亮の唇がそう音を発した瞬間。 ――ゴ、ゴ、ゴ、と、不穏な揺れが不意に亮の身体を揺るがせた。 と――、その揺れは部屋全体を覆う地響きへと取って代わる。 しかしガードナーは顔を上げることもしない。 亮の手足を押さえつけ、己を突き入れることのみに必死なのだ。 もう少しなのだ。もう少しで成坂亮を征服できる――。研究に生涯を捧げた男はその歓喜に沸き立ち、物音も振動も、そして気温の変化にも留意しなかった。 「トオル、ほら、おとなしくしなさい。パパのを奥まで……っ、……!?」 喜悦と情欲に見開かれた瞳で少年を見つめ、喘ぐように腰を突き入れようとしていた男の言葉は、不意に途中で途切れることになる。 「ご……っ!??」 それは、何者かに背後から首を鷲づかまれ、強引に宙づりにされたことに起因していた。 わずかばかり少年に挿れた己の屹立も同時に引き抜かれ、その拍子に彼の意に反してドクンと暴発させてしまう。 「ぅっ、ぉ……」 採血官の想いの篭った精液は虚しく空中へ放たれる。 だがそれさえも床の上に落ちる前に凍り付き、砂塵となって消えていくのだ。 自分に一体何が起こったのか――。 状況を把握し立て直そうと、目ばかりぎょろぎょろと動かしてみる。 視界に朱い何かがちらりと見えた気がした。 が、残念ながら、感覚を失うほど冷え切った首の動脈は、血液を脳に廻りきらせることはなかった。 ガードナーは訳もわからぬまま、床へ叩き付けられ、そしてさらに酷い衝撃が彼を襲った。 それが硬い靴底で横面を激しく踏みつけられたせいだと、それさえ彼は気づけない。 凍りかけた肉体に容赦ない衝撃が襲いかかり、眼鏡は弾け飛び、頬骨がぐしゃりとへこむ。 「ぎぃっ……!」 虫のような悲鳴が口から溢れた。 だが、ガードナーをこんな目に遭わせた相手はちらりともこちらへ目を向けることもなく、ベッドの上の少年へ腕を伸ばしていく。 ガードナーの大切な被験体。やっと手に入れたガードナーの物へ、ガードナーの許可もなく触れようとしているのだ。 触るな! それは私の物だ! そう叫ぼうと動かした口からは、ひび割れたようなうめき声しか上がらない。 声帯が凍り付いているのだと気づく前に、再び男の大きな靴が、ガードナーの頭を踏み潰す。 ガードナーの意識はそこでぶつりと音を立て、途切れていた。 目の前が、急に白く、光って見えた。 亮はわけもわからずぼんやりと天井を見上げる。 さっきまでそこにいた影が消えていた。 亮にのしかかる禍々しき黒い影。 それが綺麗さっぱり消えていて、亮の頭上にはきらきら光る白い世界が広がっている。 吐く息が、綿のように柔らかく煙っては消えていく。。 ああ、それで、白く見えるんだ――と、そう思ったとき。 誰かが亮の頬に触れた。 ビクンと身を竦ませる。 が、その指先の冷たさに、全身の力が抜けていくのがわかる。 ひんやりとしているのに、あったかい。 知っている体温。 ぼんやりとした白い息の先。きらめく世界を逆光にし、朱い髪をした誰かが見えた。 こちらを恐い顔で覗き込んでいる。 「…………。……し、ど……?」 声に出して名前を呼んで、亮はやっと気づいていた。 亮が帰りたかった所。 亮が守りたかった場所。 そこにはいつもこの朱い髪の意地悪なヤツが居て、こいつが居なくなったら亮はものすごく哀しいのだ。 力の入らない手を、精一杯伸ばしてみた。 あの朱い髪に届かなかったらどうしようと、そればかり不安で、喘ぐように必死に手を伸ばす。 だがその不安はすぐに解消されていた。 亮の手は彼の頬に触れ、髪に触れ、すがりつくように首へと回されていく。 幻かと想った恐い顔の男が、自らかがみ込み、亮へ頬をすり寄せ、抱き上げていたからだ。 「大事な、もの……は、……オレの、大事な……」 亮の中で最後のピースがカチリと音を立て、嵌り込んでいく。 ずっと指先の数センチ向こうをすり抜けていたものを、亮はやっとその腕で捕まえていた。 こんなに力が残っていたのかと自分でも驚くくらい、亮はぎゅっと腕の中の相手を抱きしめる。 自分の中から抜け落ちていた欠片は全てが元の位置に再び収まり、あらゆる記憶が亮の中で融合される。 涙が止めどなく溢れてくる。 だが、どんな恐ろしい記憶も哀しい記憶も、亮は飲み込んでいくことができた。 不思議なほどに、静かに。静寂に。 きっと自分は全部覚えていたんだと思った。 覚えていたのに、それに気づかなかっただけなのだ。 大事な物が、こんなに近くに――。自分の手の中にあったのに気づかなかったのと同じように。 「まったく……。おまえは無茶苦茶だ」 シドが耳元で言った。 顔が見たくて、亮は少しだけ腕を弛めた。 息が届くほど近くにあるシドの恐い顔は、少しだけ渋面に歪められる。 まるで「メッ」と怒っているかのような表情に、亮は少しだけ笑ってしまった。 「何がおかしい。おまえは……笑うか泣くかどちらかにしろ」 「っ……、泣いてなんか、ねぇし……っ。シドの、顔が、おもしろかった、から、わらた、だけだ、しっ……」 何度もえづきながらどうにかそう言うと、亮は口を尖らせる。 「言いつけをことごとく破りまくったヤツが、そんな余裕よくあるな。ん?」 ギクリと背を竦ませ、亮は上目遣いでシドを見上げた。 シドの言うとおり、自分はいくつ言いつけを破ったのか数えたくもない状況なのだ。 「仕事に首を突っ込むなとあれほど言ったはずだ。どれだけ危ない真似をした? あんな久我とか言うバスターのガキにいいように使われるとは」 「っ……、ちが、あれは、ォレが、自分で……」 どうやらシドは何もかも知っているらしい。 いつの間にバレたのだろう。シドは仕事で忙しくて亮のことなど構いもしなかったはずなのに。 「それに――召還行為を行うなど言語道断だ」 シドの顔はますます険しく亮を見下ろす。 どうやらこの件に関しては、シャレにならないほど怒っているらしい。 「でも、ォレ、できたっ、……、ちゃんと、できたし……っ。……久我が、いてくれた、から、……向こうに、落っこちずに、済んだし……」 シドの唇から盛大なため息が漏れる。 「一人で出来もしないものを出来たとは言わんっ。おまえの軽率な行動で、ヘタをすれば久我もろとも寂静されていたんだぞ」 「っ…………」 シドの言うことは一から十までもっともだ。 もっとも過ぎて、亮はもう言い訳すら出てこない。 「…………、ォレ、……ォレ……、…………。」 じっとシドの顔を見上げたまま黙り込んでしまった亮の頭を、シドは無造作に肩口へ押付けると、わしわしと髪を撫でる。 「っ……、め、なさい……。っ、ごめ、なさい……っ」 涙が再び堰を切って溢れ始める。 ひっくひっくとえづきながら、みっともないほど泣き声を上げてしまう。 自分のやったことが今さらながら恐ろしくなったのか、それとも今の状況に安心してしまったのか、亮にはもう何が何だかわからなかったが、涙は嫌になるほど止まりそうにない。 「痛いところはないか?」 耳元でシドの声がした。 シドはやっぱり意地悪だと思う。 だってこれじゃ涙が止まらない。 こう言うときこそ、いつもみたいに意地悪を言ってくれなくては困るのだ。 亮はますますかっこ悪く泣きじゃくってしまう。 「わかった、わかった……、今は無理だな。では帰ろう。このセラもすぐに本部の手が入る」 「っ、ぇっ……ぇっ……ぅぇぇっ、ぇっ……かぇ、る……」 「ああ、帰ろう、亮――」 シドにそう言われた途端、亮の身体に僅かばかり残っていた力が抜けていく。 シドの一言で、亮は笑ったり怒ったり涙が溢れたり、こんな風に力が抜けてしまったり――こいつはイザ能力だけじゃなくて、きっと催眠術の能力も持ってるに違いないと訳のわからないことを確信しながら、亮は深い眠りの淵に落ちていった。 こんな、最悪の夢を見た。 俺は立ち上がることも出来ず、ただ震えてそこにいるしかなかった。 そんな俺の前に、朱い頭をした理不尽に顔のいい元カラークラウンが、俺の探していた相方を抱きかかえて現われるのだ。 腕の中にすっぽりと収まった成坂亮は安心しきった表情で眠っていた。 ああ、と、思った。 成坂はこいつのことを、信頼している。 多分、こんな柔らかな顔で眠れるほどこいつのことを信じていて、こいつのそばにいるとそれだけできっと、恐い物などなにもなくなるんだ。 この男が成坂を無敵にしている原因。理由。諸悪の根源。 成坂の顔を見て俺は安心すると同時に、叫び出しそうな、泣き出しそうな、やるせない気持ちが滲んできて、情けなくも下を向いてしまった。 だからやっと姿を拝めた成坂に声も掛けられず、ましてや動くこともできない俺は――。 これまた最悪なことに、その元カラークラウン――シド・クライヴに襟首をつかまれ、気味の悪いセラから連れ出されることになる。 うちのクラスの英会話講師だったこの男は、その間、何も喋らなかった。 成坂を事件に巻き込んだこと――。 成坂を危険な目に遭わせたこと――。 成坂に召還行為をさせたこと――。 いくつ文句を言われても、どんなに酷く罵られても、俺はそれを素直に聞く覚悟ができていた。 それなのに。 学校の授業では容赦ない冷徹な言葉を浴びせるこの男は、今回に限っては俺に何も言わなかったのだ。 成坂亮に二度と近づくな――。最後にははっきりとそう、言われると思っていた。 そしたら、「他の文句は聞いてやったが、それだけはできねぇ!」とつっぱねるつもりだったのに。 こんな風に何も言われず、助けられるだけ助けられるなんて、俺のこの全身を絞られたような感情はどこに叩き付ければいいんだ! ましてや顔を上げれば、あいつの腕の中には俺が助けるはずだった相手が、あいつに完全に身を預けて眠っている。 ああ、もう、早くこんな夢は覚めてくれ。 こんな情けない最悪の場面が、現実であるはずがないんだ。 「久我くん? え。うそ。気がついた? 頑丈〜」 うすぼんやりと目を開けた久我の網膜に最初に映ったのは、頭に包帯をグルグルと巻いた管理人の顔だった。 ただでさえクルクルとした髪が包帯の隙間から飛び出し、アスファルトの隙間から勢いよく生えまくる雑草のように見える。 「…………っ、」 起き上がろうとした久我は、痛みに顔をしかめ身体をピクリと動かしただけで、ベッドへ再沈没してしまう。 「無理だよ、まだ動けない。こんな早く意識が戻ったのだって信じられないくらいなんだから。若いっていいねぇ」 「…………なり、さ……」 「亮くんなら大丈夫。身体の方はうちのスタッフとボランティア部の不良くんたちの活躍でもう間もなく戻ってくるよ。アルマの方はキミも知ってるとおり、シドが……キミのクラスの英会話先生が連れて帰ってきた」 管理人の言葉に、久我は目を閉じる。 「でも良かったよ。あいつもしかしたら久我くんのこと放置したまま戻ってくるかと思ってたから。……それどころか、一緒に凍らされて粉々にされたらどうしようって心配までしてたんだけどな。ちゃんと抱えて帰ってきてくれたんだ、後でお礼言っといた方がいいよ」 「んなこと言えるか」……と、口に出したかったが、声にもならない。 連れて帰れだなんて頼んだわけじゃない。むしろ置いてきてくれた方がどれだけ精神衛生上良かったことか。 もし置いて行かれていたのだとしたら、さっきまで見ていた久我の夢はやっぱり夢で現実なんかじゃなかったということになる。 しかし現実はこうだ。 久我はあいつに助けられ、成坂亮を助けたのはあいつだ。 「夢であれ!」とすがりついた最後の望みも管理人の一言であっけなく絶たれ、『現実』は情け容赦なく久我の前に落ちていた。 ――あー、もー、消えてなくなっちまえ、俺。 そう頭の中で呟いた久我の意識は再び闇の中をさまよい始める。 もうこのまま目が覚めなければいいとさえ思う。 亮を助けに行ったくせに、ニセモノのトオルとエロいことしまくって助けに行けず、敵にやられて死にかけて、恋敵(しかも恐ろしいことにイザ・ヴェルミリオ)に助けられて、ましてやそいつに抱えられたまま戻ってくるなんて、男としてこんなバッドエンドあるだろうか。 セーブポイントからやり直しができればいいのに、と下らない逃げ道ばかりが頭を巡る。 ではどこからやり直せばいいのか。 亮を助けに行き、亮のコピーたちと出会ったあの時か。 亮を自分の相方としてタッグを組んだあの時か。 それとも亮と同じクラスになったあの日なのか。 しかし何度考えてもベストエンドを迎えられる気がしない。 なぜならその時にはもう、成坂亮はシド・クライヴと一緒にいたはずだからだ。 ――くっそ。じゃあ何だよ、俺が生まれた時からか!? 生まれてすぐ成坂探して、ずっとずっと成坂のそばにいられれば俺だって……。 先に出会っていれば絶対勝ってた。そうに決まってる。 久我は根拠のないそんな確信を何度も頭の中で叫び、そのまま再び闇の中に落ちていった。 |