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「なんだよ、そうならそうと最初から言えってんだ」 ぶつぶつと不満をもらしながら、しかしなぜか足取りはやたらと軽く、磨き上げられたホワイトオニックスの廊下を大股で進んでいくのはシュラ・リベリオンだ。 耐熱素材のアンダーシャツにアーミーベスト、カーゴパンツに耐火対衝撃用ロングブーツをつけた出で立ちは完全に出勤前であることを物語っている。 腰に装着されたベルトにはいくつもリベットが撃ち込まれ、そこに吊された革製のホルスターには顕現化が施されたショットガンマガジンがずらりと並んでいて、見た目だけで言えば今すぐにでも戦場に行けそうな雰囲気だ。 だが肝心の対獄卒用ショットガン本体や銃器は一階にある管理室に取り上げられている。 勤務前に緊急的にセブンスへ寄ったためこのような格好になってしまったのを、ライス執事長に見とがめられ「常識を持っていただきたい」だの「エレガントではない」だのさんざんなじられるはめとなってしまった。 シュラとてこの格好のままセブンスに来るつもりなど毛頭なかったのだが、見回り業務の順番を無理矢理変更したために時間的余裕がゼロになってしまったのだからどうしようもない。 だが、勝手にリザーブを入れられた上に獄卒対策部として命の次に大切だとでも言える装備を概ね取り上げられ、さらに理不尽に執事長になじられてさえも足取りが軽快になる理由がこの先で待っている。 プラチナによりいつの間にか入れられていたリザーブの時間は午後一時。その時刻五分前にぎりぎり到着してみれば、一階にある受付にはわざわざライス執事長が出張っており、シュラの顔を見るやいなやシャルルの居室がある7階ではなく、なぜか9階へ行けと指示された。 理由を聞いてみれば「あなたをお待ちの方がいるので」との一言のみ。 それでシュラにはピンと来た。 恐らく9階は亮の居室なのだろうと。 リフレッシュ期間中ということもあり、大手を振ってセブンスへ上がれない状況を鑑みれば亮の名を出しリザーブを取るなど言語道断なわけで、シャルルの名で許可を出すことは彼の粋な計らいだったに違いない。 リアルで亮に会うのは昨年冬、東京へ遊びに行ったとき以来だ。 少しは背も伸び大きくなっただろうか。 こんな緊急事態ではあるが、亮と会えるという確信はシュラの足取りを軽くする。 廊下の突き当たり。重厚なダークオークの扉をノックすれば、中から入室を許可するシャルルの声が聞こえた。 シュラは扉を開けるや否や 「亮、具合はどうだ!?」 と問いかけながら部屋を見回した。 しかしシュラの来訪を喜んでくれる少年の返事は聞こえず、広い室内のダイニングセットにもソファーにもベッドにも目指す姿は見あたらない。 ただ、正面に置かれたダイニングセットの白い木製チェアに、シャルルと今一人──見知らぬ青年が座っているだけだ。 青年はシュラの顔を見ると立ち上がり、深く一礼する。 「あんたは?」 いぶかしげに片眉を上げ扉を閉じたシュラに向かい、椅子に座ったまま振り返ったシャルルが 「ジオットも止めてよ! 修司、ここを出て行くって言うんだ。亮をここで待つようにジオットも説得してよ!」 半分怒ったような早口でまくし立てる。感情が高ぶっているせいかいつもなら英語で交わす言葉が、いつの間にかフランス語に戻ってしまっているのにも本人は気づいていなさそうだ。 修司と呼ばれた青年は再び腰を下ろすと、憤然とするシャルルに向かい静かな口調で何やら語っているようだが、シャルルの興奮は収まる気配がない。 「亮をここで待つ? いったいどういうことだ、話が全然見えねぇぞ。亮はどこいったんだ、医療棟か?」 首をひねりながら歩み寄り、シャルルの横にどかりと座ったシュラは向かいの青年がとても憔悴しているらしいことにようやく気づいていた。 日本人と思われる彼は整った容姿をしているが、酷く暗い瞳をしている。まだ若くエネルギーに満ちあふれた年齢であろうと思われるのに、一週間徹夜でもしたほうがまだましなほど生気を失っていた。 修司は一度シュラを見、その後なぜかシュラの背後へ視線を飛ばすと、もう一度シュラの顔を眺める。 「亮は──、もうここにはいません。ここには戻らないかもしれない」 「あんた……修司って、もしかして亮の兄ちゃんか? 戻らないってそいつは……」 「亮は連れて行かれちゃったんだ。……樹根核に」 うつむきがちに唇を噛み締めたシャルルが呻くように言ったその言葉に、シュラは濃青の瞳を見開く。 「樹根核、だと? ……なんだそれ、嘘だろ、なんでそんなこと許した!」 突然現れた思いも掛けない単語に、シュラの心臓がドクンと大きく脈打った。 全身から音を立てて血の気が引いていく。 樹根核という場所は肉体ごと収容するため、現実から完全に引き離された最果ての監獄のようなものだ。向こうで何かがあったとしても、シュラとてすぐに駆けつけることができない。 セラを含む煉獄とは違い、元来人間が人間として足を踏み入れられない場所なのだ。 兄である青年の憔悴ぶりもこのためかとシュラはぼんやりとした様子の修司を見返した。 「僕だって必死に止めたんだっ、なのにレドグレイはビアンコの許可書を持ってきてて、それ見た亮が自分で行くって言い出して。あのバカ、かっこつけて最悪なんだよっ」 ビアンコの許可書を提示したとなると、シャルルにそれを止める権限はなくなってしまう。 ゲボ・プラチナとしての立場を慮り、亮が自らその指示に従ったというのは想像に難くない。 亮の行動はいつだって利他的だ。まだミドルティーンなのだから、退行したときと同様に詮無い我が侭をもっと周りにぶつければいいと思うのに、シュラの知る亮はいつも何かと戦い誰かのために身を投げ出そうとする。 まるでそうしないと存在そのものを否定されてしまうとでも言うように、切羽詰まったものをシュラは感じてしまうのだ。 「レドグレイはセブンスのためだとか、亮の身柄を守るためだとか言ってたけど、そんなの詭弁だよ。樹根核の観測基地なんて研究局とヴァーテクスしか触れない不可侵領域じゃないか。たとえお付きでルキを連れて行くって言ったって、一人でできることなんて限られてる……」 「ちょっと待て、ルキも行ったのか!? 聞いてねーぞっ、いくら今亮の世話役として貸し出してるからって、うちの大事な部員まで拉致して部長である俺に何の連絡もなしなんてのは……」 「本当に、申し訳ない。僕にもっと力があったのなら、僕がせめてあなた方と同じソムニアであったのならルキくんに代わって僕が亮に付いて行くことも出来たかもしれない」 修司がテーブルに面を伏せるほどに深々と頭を垂れる。 このまま倒れて死んでしまうのではないかと思うほど生気をなくしたその様子に、シュラは思わず言葉を詰めると、ガリガリと乱暴にアッシュグレーの髪を掻きむった。 「すまねぇ、そういう意味じゃねぇんだ。ルキが付いていったなら亮一人で行くよりずっといい。修司、あんたが頭を下げることじゃねぇ」 困ったとでも言うように情けなく眉尻を下げる。 単純に業務連絡ができていないことに対して不満を言ったつもりが、さらに身内である修司に責任を感じさせることになってしまったようだ。 己の思慮の足りなさは昔からリモーネや部下達に口うるさく言われた方だが、こんな時にそれが出てしまうと己のだめさ加減に嫌気がさしてしまう。 「だからさっきから言ってるように、修司がソムニアになる必要なんてないんだよっ。亮に必要なのはソムニアの修司じゃなくて、兄である修司なんだっ。だから変な考えは絶対に持たないで」 シュラ達の会話を聞いていたシャルルが強い口調で修司をたしなめる。 なんなら小さな白い拳をテーブルへ「絶対に」の言葉に合わせるように何度も叩き付けるほどの抗議ぶりだ。 どうやらシュラがここへ来る前から、同じ内容の問題を二人で話し合っていたらしい。 亮と兄である修司の絆がとても深いということは、亮自身の発言からも知っていたしシドやレオンから何度も聞かされていたことだが、こうして初めて相見え、兄の様子を目の当たりにすると彼らの言は大げさではなかったのだなとシュラは胸に詰まるものを感じた。 愛する弟を目の前で連れ去られたこの兄の心情を考えると、やるせなさで心臓が縛り上げられそうだ。 恐らく己の不甲斐なさに叫び出したい怒りと絶望を感じたに違いない。 「うん。わかってるよ、シャル。もしもの話だ。それに──ソムニアになりたいと希望したってそうはなれないなんて、コモンズとしての知識でもわかる。……覚醒するには悲惨な死を迎えることが最も近道だと言われているけど、それでソムニアになれる率ですらわずか0.01パーセント以下だと文献で読んだよ」 シャルルに向かい微笑んで見せた修司だが、その気遣いにすらシャルルは厳しい表情を崩さない。 「死んでみようなんてバカなこと考えないでよ!?」 「そんなことするわけがない。僕は……亮を待っていなきゃいけない。ただ、もう少し強くなって――。亮を少しでも助けてやれるように何かしなくては」 そう言って顔を上げた修司は、シュラの横、誰も座っていない椅子の辺りを眺めると、一度驚いたように目を見開き、 「……うん、そうか。血のつながりなんて関係ない。ありがとう。君たちソムニアはアルマが全てだというけど、アルマと魂は同じものなのかもしれないね」 そう言って瞳を閉じる。 修司が何に対して返事をしたのかシュラはわけがわからず隣のシャルルの顔を見る。 だが、シャルルもいぶかしげに眉を寄せ心配そうに修司の顔を眺めるだけだ。 とにかくこの青年は精神的にかなり追い詰められている。 おそらく夕べも――下手をすれば亮が運び込まれてからの数日間、まともに眠ってはいないのだろう。 ギリギリの心が彼に何かの幻覚や幻聴を見せているのかもしれない。 同じように考えているらしいシャルルが気遣わしげに修司の手を握る。 「修司、少し休んだ方がいいよ。それからまた考えよう? ここを出て能力開花の訓練施設へ入ってみるのも手かも知れないけど、大抵のところはオカルトまがいの偽物施設なんだから行く場所を厳選しなきゃ。あとソムニア覚醒の薬物もダメだからねっ。犯罪だって以上にあんなの全部偽物で使ったら命がいくつあってもありないよっ。……それよりここでセラ内の意識定着訓練とかを準機構員と一緒に受ける方が現実的だし、とにかくちょっと時間をおいて……」 思い詰めてここを出ると言った修司に対し、シャルルがそう提案したときだ。 けたたましい警報音が室内に響き渡っていた。 耳をつんざく耳障りな音にシャルルは顔を振り上げ「何事っ!?」と叫ぶ。 同時にシュラの尻ポケットに入った携帯電話が身を震わせ、すぐさま通話を押せば地上班主任のパリスが緊張を孕んだ声音で状況を語り出す。 隣のシャルルも同じように電話を受けているところを見ると、この警報の原因をライス執事長辺りから受けているのだろう。 『ジオット今どちらですか? リアルにいるのならすぐ本部へ戻ってください! 本部上空から一個師団に相当する人数のアンノウンが降下し、現在武力局が総出で迎撃態勢に入ってます。獄卒対策部も入獄班以外には要請が来てます』 「まじかよ、どこのどいつらだIICR本部へ特攻しかけてくるなんざ、自殺行為としか思えねぇ!」 『わかりませんが、相手の装備は最新鋭のもので、ジャミングにおいては当局がぎりぎりまで感知できなかったほどの精度を持っているようです。これほどの技術力となると、環流の守護者辺りが正解かと思いますが──』 「テロ特トップがシドからお嬢ちゃんに変わるや否やかよ。どっかから情報漏れてるな、こりゃ」 与しやすい相手になったとたんの急襲にシュラは溜息を漏らす。これは連中を退けた後もごたごたが待っているに違いない。 「悪いが今セブンスだ。こっちの様子が落ち着いてるようなら向かうが、ちっと時間が掛かるかもしれねぇ。ジョーイは中だしおまえがとりあえずの現場指揮取っておいてくれ」 『ええええっ、セブンス!? はーもーわかりました。期待しないで待ってます!』 半泣き部下の通信を切ると、シャルルもちょうど通話を終えたところのようだった。 「タイミング良すぎだよ、亮が移ったとたんの襲撃とかレドグレイが正しかったみたいですっごいむかつく!!」 「まぁそう言うな。あのくそまじめのワンマンネクタイもたまには役に立つと思っておけ。ここは本部から離れちゃいるが何があるかはわからんからな」 「修司、とりあえず上のロビーに行こう。他のゲボたちも集めるよう指示しておいたから僕たちも向かわないと──」 シャルルが立ち上がるとテーブルを回り込み、修司に抱きつくように寄り添う。 おいおい近すぎなんじゃねーの? こりゃインカが見たら泣くな──と苦笑を浮かべながらシュラも立ち上がったときである。 部屋の扉がノックもなく開けられていた。 シュラもシャルルも振り返り身構える。 そこにいたのは一人の執事服を着た青年だった。 シュラも何度かは受付で顔を見たことがある、確か名はヴィーノとか言ったはずだ。 「っ、あ、プラチナ、こちらへおいででしたか! あの、亮様と兄上様を連れて上のロビーへ集まるようにとライス執事長からの指示をいただいたので、私が案内として寄こされました」 うわずった調子でまくし立てるヴィーノにシャルルはまっすぐ見通すような視線を送ると、ちらりとシュラに目配せする。 その合図にシュラも微かに頷いて見せた。 この執事の言動はどう考えてもおかしい。 ライスは亮が既にセブンスにいないことを知っている。にもかかわらずこの男は亮を避難させるため──と言った。 しかもライスとシャルルは今し方まで通信でつながっていたし、ロビーへ集まるよう指示したのはシャルル本人だ。 何より──シュラは先ほどから扉の向こうに息を潜めて立つ幾人もの人間達の気配を感じ取っていた。 電話を切った直後よりこの不穏な空気はシュラの肌をびりびりと痺れさせ始め、今や彼の内部を完全なる戦闘モードに切り替えていた。 立ち上がったシュラはグローブを着けた両拳にぐっと力をたわめ、ヴィーノと彼の後ろにいるであろう者達に向かい声を掛ける。 「執事のお兄ちゃん。亮は今留守だ。ライス執事長はそのことを教えてくれなかったのか?」 「いや、それは、わ、私の聞き取りミスでして──」 「助ける相手を聞き間違えるなんて初歩的ミスをする男にはこいつらを任せられねぇな。二人は俺がエスコートするさ。おまえは後ろのお友達連れてこの建物から出て行きな」 「っ、え、いや、後ろ?──」 ヴィーノが青い顔で何か喋らなければと言葉を探し始めたとき、彼の背後から一気に黒い装束の男達がなだれ込んでくる。 どの男も全身にプロテクターを着け頭にはガスマスクの付いたヘルメットを装備しており、手には室内戦で有利なタイプのライフルがいつでも掃射できる状態で携えられていた。 その数総勢7名。 室内戦闘にしては多めの頭数だが、一部屋のやたら広いセブンスに於いては的確な人数といえる。 一斉に銃口をシュラ達に向け、取り囲むように展開した彼らは通信で何やら言葉を交わし合っているようだ。 ガスマスク越しで聞き取りにくくはあるが、身体能力の高いソムニアであるシュラやシャルルには、意識を集中することでそれらを聞き取ることが可能だ。 「かまわん、予定とは違うがプラチナもさらえ。貴重なゲボだ、テーヴェへの土産になる」 「トオル ナリサカの姿がないが──」 「そんなはずはないっ、ここ数ヶ月、アンジェラはトオルの周囲に現れていると試算が出ている。近くにいるはずだ!」 「あの二人の男は何者だ」 「一人は話に聞いたトオルの兄だろう。あの手前の男は──、誰だ」 「この際何者でもいい。ゲボ以外は二人とも頭を吹き飛ばせ。トオル探索は二の次だ。まずはアンジェラを確保、次いでプラチナの拉致を優先する」 物騒な相談がほんの数秒の間にまとまる。 『アンジェラ』という単語が何を指すのかシュラにはわからなかったが、とりあえずシュラと修司は頭を飛ばされる算段になったらしい。 「あ、あの男は、カウナーツ・ジオットですっ! 丸腰ですが気をつけて!」 ヴィーノが叫びながら廊下へと掛けだしていく。彼は手引きするのが仕事だったのだろう、もうこの場に用はないとばかり逃げに入ったようだ。 だがそんな男に注目する者などこの場には誰一人としていなかった。 彼の残した名前──カウナーツ・ジオットという響きだけが男達の間で囁かれ始める。 今現在セブンスは休止中で、プラチナ以外のカラークラウンがこの場にいることなど彼らには想定外だったのだろう。 目の前の少々ガタイのいい男も、成坂修司同様亮の世話係として雇われた力仕事専門の下男くらいの感覚でいた彼らにとって、その名は寝耳に水だ。 「カウナーツ・ジオット……。蒼の炎王──」 「ここの警備は外部すら突破すれば余裕だったはずだろ!? なんだってここにこんな物騒な大物が」 「臆するな、しょせんここはリアル。カラークラウンといえど丸腰では大した攻撃はできん。θ班、γ班、ジオットの片付けを。αはアンジェラを、βはプラチナを確保。展開っ!」 リーダーらしき男の指示で、戦局が一気に動き出す。 同時にシュラも動いていた。 「シャル、修司を頼む」 そう言い置くと、テーブルの上にひらりと飛び乗り二人を庇うように立ちはだかる。 その瞬間、シュラへ向けられた銃口から一斉に弾丸が掃射され凄まじい破裂音と火薬のにおいが部屋中を席巻する。 蒼の炎王の無精ひげ散らばる口元が不適に引き上げられた。 「修司、こっち――!」 シャルルは修司の手を取り、窓際へと走り出す。 その際己の身体をなるべく修司に密着させ、抱きつくように移動するのは、シャルルが自分の身体が拉致の対象だとわかっているからだ。 こうしておけば下手に修司へ発砲するものがいなくなる。 「シャル、あの子も連れて行かなくてはっ。ゲボの子なんだろう?」 しかし修司は足を止め、真逆にあるキッチンへ向かい手を伸ばしていた。 誰のことを言っているのかわからず、シャルルもそちらへ目を凝らすが修司の指す「あの子」の姿はどこにもない。 もしやゲボの誰かが修司見たさにここへ潜り込んで居たのかと肝を冷やしたが、修司の視線の先にはゲボどころか何者も存在していないのだ。 「何言ってるの? 誰も居ないよ。キミは疲れてるんだ、早く避難して落ち着こうよっ」 別種の冷や汗がシャルルの背中をするすると落ちていく。 亮との別離で修司は本当に壊れてしまったのではと恐ろしい考えが脳裏をよぎる。 「シャルルよく見てくれ、あそこにいるじゃないかっ。ジオットと共にここへ来た白い男の子が――、早くキミ、一緒に行こうっ!」 「修司! しっかりしてよっ! いいからこっちへ」 シャルルが半ば叫ぶようにそう言った瞬間だ。 眩い閃光が室内を白一色に染め上げ、シャルルは思わず目を閉じた。 光に満たされる直前、男の一人がなにやら大きな銃を天井へ向け構えていたのを見た気がする。 恐らく閃光弾を撃ったのだ。 奪われた視界でとにかく修司を護らなくてはとシャルルは傍らの体温にすがりついた。 手を離したら二度と修司は戻らない気がした。 頭のすぐ上でライフルの掃射音が絶え間なく続いている。敵は装備したヘルメットに嵌まる対光グラスでこの状況でも周囲を明確に認知できているに違いない。 状況は最悪だ。 「おい、まさかあの男、アンジェラを目視してるんじゃないのか!?」 「馬鹿なっ、ダガーツでさえ補足不能な柱をただのコモンズが感知できるわけないだろうっ」 「しかし『白い少年』というワードをあの男は口にしている。しかも対アンジェラグラスで我々が見ているのと同じ方向へ手を伸ばすなど偶然ではあり得ない」 シャルルの耳に男達の通信がかすかに聞こえてくる。 修司にしがみつきどうにか窓際に寄ったシャルルは、はめ殺しの窓を割り外へ飛び出す算段を始めていた。 ここは9階ではあるが7階にある自室のベランダを経由すれば修司を抱えて地上まで飛び降りることも不可能ではない。 しばらく武術訓練などサボっていたが、この程度ならクラウンであるシャルルにやってやれないことはないはずだ。 男達はなぜか修司の言葉に異様な戸惑いを見せている。 やるなら今しかないとシャルルは思った。 だが問題は閃光弾で殺された視界と、銃弾でも割ることのできない特殊強化ガラスの粉砕手段である。 素手で殴ってみようかとも考えたが、ウルツならいざ知らずゲボの力で割れるとも思えない。 こうなれば禁を犯して現実空間で何者かを召還するしかないかと、己の左手首に歯を当てたその時だ。 爆発的な熱が舐めるようにシャルルの全身を焼く。 だがそれはほんのコンマ数秒のことであり、その熱が嘘のように消え去ったとき、同時に全ての音が掻き消えていた。 あれだけやかましく鼓膜を連打していた銃声も、ガチャガチャと耳障りな男達のプロテクター音も、そして彼らの息づかいや話し声さえも。 何が起きたのかわからず、シャルルは抱きついた修司の身体へさらにしがみついていた。 その不安をあやすように、修司の手がシャルルの肩をそっと抱きしめる。 「何……、どうなってんの? 修司、大丈夫!?」 何度も目をしばたかせこすってみても、薄ぼんやりとしか周囲を把握できない。 視力の回復までにはもう少し時間がかかりそうだ。 「わからない。何も見えないんだ。あれが閃光弾というものなのか。凄い威力だね。シャル、怪我はしてないか?」 どうやら修司も同じ状況らしい。 こんな時でも自分を心配してくれる修司の言葉が嬉しくて、シャルルはさらにぎゅっとその腰へ回した手に力を入れる。 「うん、平気。あ、でも、怖くて足が震えてるかも。もう少しこうしてていい?」 良い香りのする修司のシャツへ頬をすり寄せ、シャルルがそう甘い声を出したときだ。 すぐ近くから 「おまえインカが可哀想だろうが……」 というシュラの声が聞こえてきた。 やはりあの熱波で感じたとおり、この戦闘はカウナーツ・ジオットの勝利で幕を閉じたらしい。 相手を皆殺しにでもしたのだろうか、三人の声以外何も聞こえず、辺りは火薬のにおいと熱にあぶられた家具のにおいでめまいを起こしそうだ。 「なんで皓竜が今出てくんのっ、うざいんだけどっ。てか、熱かった! 僕の髪焦げちゃったんじゃないの!? もうちょっとエレガントな戦い方ないんですかねっ」 唇をとがらせ抗議してみせるが、シャルルが修司から離れる気配は微塵もない。 「エレガントエレガントって、セブンスの連中はそればっかだな」 ため息交じりに言ったシュラはどうやら周囲がきちんと見えているらしい。 カウナーツだからと言って光に強いわけではないはずなのに被害を受けていないのは、閃光弾が撃たれる前にそれ相応の対処でもしたのだろう。 腐っても獄卒対策部は伊達ではないと言うことかと不本意ながらシャルルは少し彼を認めてやった。 「ジオット、侵入者達は――追い払ったんですか」 修司が見づらそうに目をしかめながら辺りを見回す。 「いや、まだその辺に転がってるぜ」 「まさか本当に皆殺しにしたの!? 血まみれ?消し炭? この部屋総リフォーム決定じゃん。……まぁ、許すけど」 相変わらず高飛車な様子で言い捨てるシャルルに、シュラは苦い笑いを浮かべるしかない。 「リフォームは当分先でいいだろ。全員生きたまま捕縛したしカウナーツもあまり使わなかったから部屋の内装自体にそうダメージはないはずだ。家具はまぁちっと焦げたから……おしゃれなのと変えてくれ」 「うそ、まじ、生け捕り? 7人? 全員?」 あまりに予想外の回答にシャルルは驚いて思わずピョンとはねると、辺りを見えない視界で見回してみる。 うすらぼんやりとした影がそこかしこに転がり、ぴくりともせずわだかまっているのだけがわかる。 捕縛したにしても人間悪あがきで転がったりモゾモゾ動いたりするものなのではないだろうか。 一体どんな魔法を使えばこの状況になるのか、シャルルにはさっぱりわからない。 しかもシュラはセブンスの習わしで銃器一式をライスの元へ預けてここに来ているはずで、ヴィーノの言うように丸腰だったのにこの状況である。 「まぁ俺の仕事は生け捕ること専門だからな。すぐにインカに連絡取ってこいつら連行させるわ。自死しないようにぐるぐる巻きにしてあるから、もしかしたらなにかいい情報が手に入るかもしれねぇ」 「……皓竜、呼ぶの」 「なんか問題あるのか?」 「っ、別に。僕は修司と一緒にロビーに向かうから後片付け、ジオットお願いね」 「……おまえもうちょっとインカに優しくしてやれよ」 なんともいえない情けない声を出すシュラに、シャルルは特にコメントを返すこともなく、一方的に会話を続ける。 「今日は最悪の邪魔が入っちゃったけど、また亮と修司のことで話しあるから。僕が呼んだらすぐに来るように」 「…………。」 亮のことで呼び出されるのはやぶさかではないが、どうにもこの一方的な状況にシュラも疑問を感じざるを得ない。 しかしそれをこの少年に言ったところで何も変わらないということを熟知している彼は、 「ああ、いつでもすっ飛んでくるさ」 と必要なことだけを少年に伝えていた。 「にしても……。『アンジェラ』ってななんなんだ? 修司にはそれが見えてたんじゃねぇのか?」 「あ、それ僕も聞きたい。僕てっきり修司がおかしくなっちゃったんじゃないかって心配したんだけど……、白い男の子? こいつら、それを捕まえるために来たみたいなこと言ってたよね。僕にはさっぱりイミフだったけど」 「ああ。俺にも何も見えてねぇ。ダガーツでさえ捕捉不明な柱――とか言ってたが、あんたにはそれが見えたんだよな。てか、まだいるのかその辺に」 思わぬ質問攻めに遭った修司は困ったように眉を寄せ、静かに首を振っていた。 「もう、いません。ですが僕にはあの子がそんな幽霊のような存在だとは思えなかった。ちゃんとそこに存在していたし、片方だけ覗いた目は水色でとてもきれいだった。だからあの子もゲボの一員なのかと僕はそう思ったんです。それに、あの子は僕に言ってくれました」 遠い目をしてどこかを眺めた修司は妙に儚く、今にも消えてしまいそうだとシュラはそう思った。 視界の閉ざされたシャルルも同じに感じたのか、それとも単に己の好意の赴くままなのか、ぎゅっと修司に抱きつく腕に力を入れる。 「なんて、言ったの? アンジェラは」 言葉を句切るようにシャルルが問いかけると、修司は柔らかにほほえみこう言った。 「キミは亮の兄だからソムニアになる必要などないと。肉体的な血のつながりなんて関係ない。キミと亮は魂の兄弟なのだから、いつだって亮とつながっていられる、と――あの子は僕にそう言ってくれたんだ」 「……そ、か。うん。その子の言う通りだよ。だから修司、焦らないでもう少し亮をここで待っていよう? 僕、いくらでもサポートするから」 そう言ったシャルルの声はほっとしたようで――だが少しだけ不安で揺れていた。 確かに謎の少年『アンジェラ』の言葉で修司は安息を取り戻したかに見える。 だが、何か別の――得体の知れない不安がシャルルの胸の内に小さな染みをつくっていく。 『アンジェラ』そして『環流の守護者』。 前代未聞のIICR襲撃。 大きく不気味な潮流が動き始めている。 気味の悪い寒気を感じ、シャルルは修司の胸に頬をすり寄せた。 こうして体温を感じているときだけ修司を実感できる気がする。 セブンス9階の玄関扉が、全速力で向かってくる武力局局長自らの手により開けられるまであと三秒。 |