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 そこは修司の通った東京のH大学講義室によく似た場所であった。
 上下二段に分割された黒板の前には大きめの教壇が置かれ、階段状に設えられた席は25列を越えている。
 いわゆる「大講義室」と言われるような部屋に集められた人間は総勢16名と少なく、最前列中央と二列目を僅かに埋める程度で全体的にはガランとした印象となっていた。
 だがそこに座す面々の顔つきはどれもやる気と希望に満ちている。女性3名、男性13名。全員が二十代半ばから三十代前半の若い人員だ。
 USアーミー使用の市街戦ユニバーサル迷彩を画一で着込み、左腕腕章と胸元のバッジにそれぞれナンバーの振られた彼らは、いつ教官が現れるのかと講義室前方の出入り口へ視線を送りながらも、周囲の者たちとひそひそと言葉を交わしあっている。
 二列目窓側の端席へ座った修司はそんな彼らと距離を置くように、一人、長机の上に置いた太刀の鞘を握り込み、今一度その重みを確認する。
 実践向きのシンプルな意匠のみ施された濃紺のそれの中身は、触れれば血の滲むほど研ぎ澄まされた真剣である。
 見渡せばどの者の机の上にも各々異なってはいるが、同じように武器が一つずつ置かれていた。
 入獄エントランスで16名各人に配られたそれらは、事前に三点希望を出した得物のうちの一つだ。
 修司が希望したのは、ここ一月の教練で学ぶこととなったアサルトライフルの内使い勝手の良かったM16A4、枇杷の長木太刀、そして振り長二尺半の日本刀となる。
 そのうちの一つを当日実際手にしてから選ぶこと──という説明を修司は受けていた。
 修司にとって最も扱い慣れた得物は学生時代から振り慣れている木太刀となる。だが申請段階では必ず三点挙げねばならず、枠を埋めるためにライフルや真剣の名称を書き込まざるを得なかったというのが実情だ。
 それ故、木太刀以外を手に取るなど自分でも入獄前まで思いもしなかった。
 それがなぜか訓練用セラへ入獄し実際武器を触った瞬間、自分でも不思議なほど、あっさりと真剣を選び取っていた。
 扱いが難しく、ましてや型以外で使ったこともない真剣を選択した理由を見つけられぬまま、ここでこうしてその重さを確認している。最終クラスである第八ステージに入って初めての訓練で自分なりに緊張しているのかもしれない──そう自身で納得する他ない。
 ふと視線を感じそちらを見ると、斜め前方の男が不自然に首を回し、続いて隣の男と何やら小声で話し合っている。
「コネ野郎が使い物になんのかね」「対人戦じゃねーのが残念だ」「バカ、相手は黄猿のサムライだぜ? おまえが輪切りにされんじゃねぇの?」「キッチンナイフで銃に勝てるかよ。俺のAKで蜂の巣だ」「ひでぇな猿に文明の利器見せつけてんじゃねーよw」
 隠そうともしない下種な笑いが前方で上がった。
 あれが自分に対しての言葉であると当然修司には理解できている。

 修司が受けているこのカリキュラムはIICRへ登用されるコモンズの登竜門とも言われている「準機構員訓練」である。
 準機構員とはコモンズでありながらIICRへ職員として正式採用される者のことで、ソムニアの中でもエリート中のエリートしか入ることの許されない機構において、彼らと肩を並べ働く例外的な人員と言える。
 そもそもコモンズはセラ内に於いて自我を保つことさえ困難であるが、特殊な訓練と専門的な教育を受けることにより、セラにおける自我の確保、リアルへの記憶持ち出し、自我固定によるセラ内行動力上昇などが可能になる。
 この準機構員訓練に参加するには、まず倍率300倍とも言われる筆記試験をクリアしその後の身上調査や実技試験を経なければならず、訓練参加後も教官により不適格を押された者は直ちに排除されるという非常にシビアなものだ。
 訓練は第八ステージまであるのだが、準機構員として働くための職種ごとに卒業ステージは異なっている。
 リアルでのみ働くいわゆる「純外勤」であれば第二ステージ。リアルとセラの情報交換などを担当する部署「限定外勤」であれば第四ステージ。リアル中心ではあるが、必要に応じてセラ内での作業を担当する部署「総合勤務」であれば第六ステージ。完全にソムニアと同じ扱いで仕事に従事する人員「補佐勤務・呼称サテライト」であれば最終段階の第八までの訓練終了が必要とされる。
 この段階まで進める人間には努力だけでなく、圧倒的な才能が必要とされているわけだが、それに加えて「時間」という要素も重要となる。長期にわたる訓練によりIICRへ勤めることへの気心と覚悟を刷り込まれていくのだ。通常三年のカリキュラムが組まれ、卒業できるのはほんの一握りとなる。

 修司はこの訓練へ入試フリーで参加している。必須とされる厳格な身上調査や実技試験も受けてはいない。
 さらに半年に一度行われる昇級試験も受けることなく、教官による簡易なテストのみで飛び級し、二年かかるこの第八ステージまでをたったの一ヶ月そこそこで駆け上がってきた。
 もちろん教官達は上へ上がれるだけの力を認めて昇級を許してくれたのだがしかし、これが例外中の例外であることは誰の目にも明らかだ。
 当然この第八ステージには最初から参加できるわけもなく、訓練を初めて三ヶ月が経過したクラスへの途中加入となる。
 すでに輪が出来上がっているクラス内に於いて修司は異分子であり、加えて異例の措置を執られている立場であるが故に、より向けられる視線は冷たい。
 だがそんなことを気に掛ける余裕など修司にはなかった。
 亮を守るためにコモンズの自分が出来ることは少なく、それでも寡少とはいえ力を得るために形振りなど構ってはいられなかった。
 使える権力はなんでも使い異常とも呼べるペースでここまで登り詰めたのだ。
 修司の後ろ盾となっているゲボ・プラチナの名は圧倒的で、教官のうちの何人かはコモンズである修司へ対し「サー」を付けそうな勢いでへりくだってきたのを覚えている。
 ここはコモンズが主となるカリキュラムであるが、今まで修司が生きてきた世界と何もかも価値観の違うソムニアの領土なのだと改めて思い知らされた。
「気にするこたねーぜ。ガキなんだよ、あいつら」
 右隣に座っていた男が声を潜めて話しかけてきた。確か前回の自己紹介の折アンダーソンと名乗ったアメリカ人だ。
 編み込みの入った黒髪を後ろで縛り上げ、青い目にブラウン掛かった肌をした彼は何種類もの人種が混ざり合っているに違いなく、アメリカを象徴するような人間だと修司は漠然と思った。
「……気にはしていない。僕は言われて当然の立場にいる」
「ま、そりゃそうか」
 アンダーソンは口の端を皮肉げに吊り上げると肩をすくめてみせる。
 この様子を見るに彼自身も修司のことを快くは思っていないのだろう。だが元来話し好きのたちらしく、訓練開始までの退屈な時間を無駄話で埋めようという腹が見受けられる。
「あんたどんな手使ってここに潜り込んだんだ? あんな風につついてくるけどよ、ここにいる全員あんたにゃ興味津々なんだ。この訓練に途中参加なんて聞いたことねぇからな。どこぞの大富豪かアジアの王子様かで国家予算並みの大金積んだって噂は本当か?」
「知り合いに無理を言って参加させてもらっただけだ。そんな特別な属性は持ち合わせていないよ」
「かー、やっぱコネね。この世界、金より権力。どこの誰がお友達なのかは……まぁ聞かねーけどよ。どうせ教えてくんないんだろうし、聞くのも恐いしな」
 声を潜めて話してはいるがそれでも室内に響くアンダーソンの声はクリアで、いつの間にか教室全体が静まりかえり、修司の答えに耳を澄ましているのだろうという様子がうかがえてしまう。
 修司は小さく息を吐くと黒板上に設置された時計を見た。教官が現れるまでまだ間がありそうだ。
 リアルでの教練ではこのような待ち時間はないに等しいが、セラでの実習ではタイムラグによる意味のない空き時間が生まれがちだということを、修司はこの一ヶ月で嫌と言うほど知らされる羽目となった。
 その度にこういった話し好きのお調子者の餌にされてきたし、それによって修司の立場が改善されることはなかった。
 かと言って無視を決め込むことの出来る性分でもなく、不承不承、質問をやり過ごすしかない。
 我知らず、手を添えた太刀を小さく握り込む。
 目敏くそれを認めたアンダーソンは己の手にしたハンドガンを見せつけながら不思議そうに首を傾げた。
「刃物を選ぶなんて珍しいな。映画やコミックスの世界じゃねーんだ、どう考えたって銃の方が殺傷力高いだろうに」
「日本人は銃に馴染みがないからね。それに僕が希望しているのは医療部門なんだ。戦闘を補佐する部署へ行く予定がないから銃器を扱えてもあまり意味はない」
 修司の溜息混じりの解答に、しかしなぜかアンダーソンは目を見開き、そして次に白い歯を見せ人好きのする笑顔を零す。
 先ほどまでしっかりと感じていた分厚い壁のようなものが不意に霧散したのを修司は感じ取り、訝しげに眉根を寄せた。
「そうか、医療関係か。俺はてっきりあんたもヴァーテクス付きを狙ってるもんだとばかり思ってたぜ。準機構員の華っつったらヴァーテクス・サテライトだろ? なんだ、恋人か家族かがアルマ疾患で入院でもしてんのか? 大変だな。俺はあんたを応援するぜ? 俺のことはリアムって呼んでくれ、よろしくな、シェーン」
「…………シュウジだ。シュウでいい」
 響きだけで勝手に名付けられた修司がとりあえず己の名の間違いを正すと、リアムはまったく気にしない様子で強めに肩を叩いてくる。
「OKOK、シュウな、覚えた。今からの実習、俺と組もうぜ。今日もどうせ蟲退治なんだろうが、うちの教官は毎回変なサプライズかましてくるからな。前回は地蟲タイプ討伐中に野犬の群れ投入してくるし、その前は実習中にセラ閉鎖しやがってエントランスのこじ開けも課題に加えやがった。今日も何かやらかしてくると思った方がいい」
 立て板に水の如く語り初めたリアムは鼻歌交じりに己のP320フルサイズをチェックし始める。
「医療希望なら戦闘実習は苦手なんだろうし、第7ステージじゃ模擬戦ばっかで実戦を経験しなかっただろうからな。今日がデビュー戦のあんたは慣れるまで俺にくっついてりゃいいさ」
「そう言ってもらえるのはありがたいが、僕も僕なりに実習をしっかりと身にしたい。全力を尽くすよ」
「……くっそ真面目だな、シュウは。コネ野郎の台詞じゃねぇぜ」
 呆れたように目を見開きリアムが修司の顔を眺めたとき、講義室の扉が開き、熊のような体躯をした第八ステージ教官が軍靴の音も高らかに教壇へと上った。
 誰もが居住まいを正し教官を見る。
「今日は初の長時間潜行訓練を行う。パリと同程度のこのコンパクトな街でエグジットを目指しながら四八時間、出来るだけ多くのヒト型ワームを駆除して欲しい。記録は全て各々のナンバーバッジで行われている。くれぐれも壊さぬよう注意してくれ。時間内に戻らぬ者は減点対象であり、誤って住人を傷つけた者は当然その場で失格もしくは逮捕となる。なお、この潜行訓練の下位三名は第七ステージへ差し戻されることを言い置いておく。過去前例のない訓練だが、準機構員のクオリティ底上げを目的とし今回より導入されることとなった」
 教官の言葉に周囲がざわめき始めた。
 まさかここに来て前ステージへ差し戻し措置が行われるなど考えてもいなかったことである。
 ジロジロと周囲の視線が修司の横顔をかすめた。
 この男だけが恐らく差し戻し対象に入っていないに違いないと誰もが感じているのだ。
「勘違いしている者が多いようだが、この訓練に例外者はいない」
 その場の空気を感じ取った教官がぴしゃりと言い切れば、誰もが複雑な面持ちで口をつぐむ。
「作戦は個人で行うも良し、何人かでチームを組むのも良いだろう。効率、手際、作戦のユニークさなど加点ポイントは蟲の討伐数だけではないから各自持てる能力・知識をフルに使って訓練にあたって欲しい。退出時に半日分のレーションと簡単な救急キット、街の地図を配布するが、必要なものはなるべく現地調達で賄うように。また、緊急時は事態が大きくなる前に速やかにバッジの通信機能を使い私に連絡しろ。連絡自体は減点対象にはならん。集合は第一エグジットポイント前広場、四八時間後の正午、12:00時とする。以上。解散」