■ 5-7 ■ |
IICR本部十三階に位置する大会議室には、すでにカラークラウン19名、各局局長17名の合計36名が集い、馬蹄型に二重三重に配置された席に着いている。 中央の円卓にはカラークラウンのなかでも長老と呼ぶべき者たちが7名着席しており、それ取り囲むようにその他のカラークラウン達、そして外周には実務上要職にある構成員達が座す。 稀少な黒檀をふんだんに用いたテーブルや壁、同じく稀少な天然石を使用した黒く艶やかな床は近代的な白い光りに照らし出されてもなお重々しく、張り詰めた空気はじっとりと湿気を孕んでいるようだ。そこかしこでひそひそと会話がなされ、議場の外周に行くほどにそれは大きくなっていく。 高い天井も広い空間もそれを吸収できることはなく、室内はどうにも落ち着かない雰囲気で満たされていた。 今回の第二級理事会は定例のものではない。ほんの三日ほど前に急遽招集された臨時議会である。 カラークラウンのみを集める第一級理事会は秘密性の高い内々の内容が多く、副官クラスまで集める第三級理事会は根回し済みの誰もが知る議題を承認するだけの内容になりがちだ。それに比べ第二級はクラウンたちと各局局長クラスのみを集めるという性質上、もっとも実務的である反面根回し前の思いも掛けない議題を持ち出されることが多い。しかもそれが臨時議会となればなおさらのことである。 内容を知っていると思われる中央輪の長老達以外は、近くに座す者同士で今回の議題についてひっきりなしに情報を交換している様子である。 第二輪の末席に座るシュラも寝耳に水で今回の議会に招集された口であり、隣に座る武力局局長ウルツ・インカに「今日はなんなんだ?」と問うてみたが、インカも「さあ?」と首をひねるばかりで何の情報も得られない。ただ、なぜかインカの声には覇気がなく、大きなガタイをしぼませ元気がないことだけはわかった。 「なんだよしょぼくれてやがんな。腹でも壊したのか」 ひそひそと声を掛けてみれば、インカは乾いた笑いを浮かべ「なんでもない」と言いつつ、ちらりと右斜め前方を眺めやる。馬蹄型に弧を描く向こう側のテーブルには、金髪碧眼のキラキラした少年が退屈そうな様子で頬杖をつき出入り口付近を眺めていた。 それでシュラは「ああ、あれか」となんとなく納得する。三日ほど前、突然セブンスの出入り禁止がすべてのカラークラウンに通達されたのだ。 なんでもゲボ達の健康診断兼リフレッシュ期間だとかで、ガーネットの跡を継いだクラウン、ゲボ・プラチナになってから初めての本格的なセブンスの動きとなる。 しかもそのリフレッシュ期間とやらはいつまでという区切りがないらしく、セブンスを愛用するクラウン達から落胆と非難の声が上がっていると聞く。 インカがまるで飼い主に腹を見せる犬っころのようにシャルル・ルフェーブルを好いていることをシュラは知っている。知っていると言うより一年ほど前、期せずして知らしめられたと言った方が良いかもしれない。とにかく、きっとここ三日この大型犬はお預けをくらったまま放置なのであろうと簡単に予想が立ち、やれやれと溜息が漏れた。 他人の恋路などにクソの興味もわかない。 シュラがだらしなく椅子のバックレストへ背を預けたその時、重々しく扉が開き、ようやく議長であるペルトゥロ・ノース・シーが姿を現した。 予言種・ペルトゥロを持つ現在唯一の者であり、IICRの長であるビアンコと同じ時代から生き続ける生き字引のような彼は、膨大な蔵書を誇る図書館塔の管理人の一人でもある。 これでビアンコを除き、現在在籍する全てのカラークラウンがこの場に集まったこととなる。 ざわめいていた大会議室は水を打ったように静まりかえり、ノース・シーの靴音だけが固く鳴り響く。 七十過ぎの老人の姿をした彼は、深いグリーンの長衣と長い白髪を靡かせ確かな足取りで中央にある議長席に座ると、落ちくぼんではいるが理知の光宿る鋭い眼で辺りを見回し、高らかに議会開始の宣言をした。そののち一つ咳払いをすると、嗄れてはいるがよく通る声で続ける。 「……約一名足らんが、時間じゃ。始めるしかあるまい。今議会における主題は二つある。一つは転生障害克服のための新体制について。もう一つは環流の守護者を始めとするセラ・テロ組織殲滅のための新体制についてじゃ。どちらも早急な対処が必要な問題であり他のプロジェクトとして動き始めている部分もあるが、さらに実践的な部分を受け持つ組織作りを提案することとなる」 静まりかえっていた議場が再びざわめいた。これらの議題については予想はしていたことだが、似たようなチームはすでにいくつか組まれているはずであり、それだけでは事足りなくなってきているという現状に誰もが深刻さを感じざるを得ない。 通常の業務に加えこれらの仕事を配分されるとなるとそれだけで労力は大変なものになってしまう。己のコード・ファミリーに無理難題を持ちかけれるのだけは避けたいと、クラウン達は皆わずかに眉をひそめた。 「まずは転生障害問題の対策について、新たなプロジェクト立ち上げを提案したエイヴァーツ・ウィスタリアより話を聞くこととする」 ノース・シーの言葉と同時に、室内数カ所に控えていた理事会実行室の係員達が素早くレジュメを配っていく。室内に紙をめくるノイズが混ざり、同時に溜息ともざわめきともつかない声がいたるところで上がった。 ウィスタリアといえば言わずとしれた研究局のトップであり、イェーラ・スティールが蒸散刑により職務を負われた後、あの特殊な局の長を突然押しつけられた運のない男である。その男が提案した新たな計画の要旨を知り、ある者は意味がわからず何度も紙面を眺め、ある者はその必要とされる予算の数字に目を見開いた。 シュラも手元に配られた分厚い紙束をめくってみて、まず最初に見たこともない桁の数に仰天した。並んだゼロの数は小国の国家予算くらいはあるのではないだろうか。 シュラとほぼ同期であるこの男は研究畑一筋のたたき上げであり、政治的な色を全く持たない人物だということは周知であるが、だからこそこんな予算を必要とするプロジェクトが早々簡単に動き出すとは思えない。もしこれにGOが出るのだとすれば、それはイコール現状それだけIICRが──いや、人類が追い込まれているということだ。 「では研究局の方から簡単にプレゼンさせていただきます」 三十代前半のまるい縁なしめがねを掛けた男が、柔らかな物腰で立ち上がる。癖のあるブラウン系の髪は無造作に伸び肩にまでかかっていて、レジュメを覗くとぼさりと目の前まで落ちかかる前髪をうっとうしげにかき上げる。濃い色の作業ズボン、しわの入ったシャツの上から白衣を纏った彼は、そのあくまでも特徴のない顔立ちとあいまって、言われなければカラークラウンを持つソムニアだなどと思えないほどの冴えない風貌だ。 「えーと、どこからいきましょうかね……」 人の良さそうな笑みを浮かべているのはいつものことで、シュラの部下である獄卒対策部のエイヴァーツ種に聞けば彼の怒ったところなど一度も見たことがないらしい。 当然コードファミリーの長としての威厳はまるでなく、エイヴァーツの副官達はウィスタリアを補佐しファミリーをまとめ上げるのに苦労していると聞いている。だが、そんな駄目上司のような頼りない一面を持つ反面、突然の局長抜擢であるにもかかわらずあの曲者揃いの研究局をさらりと掌握した手腕は決して生半可なものではない、とシュラは思っている。 局長交代以降、ロイス・ガードナー事件を含め何度か研究局には大きな問題が起こっているが、それをそつなくクリアにしている点に於いて彼は額面通りの男ではないのではないかと思うのだ。 「──ということで、世界に配置されたレイラインを統括し活用する装置『axis』による世界軸構想があれば、我々の手で新たなアルマの循環システムを構築することができるのです。そうすればもう転生障害についてはなんの心配もいらない! 人類の危機はすぐにでも脱することが出来る。機は熟しています。材料と人手さえあればいつでもプロジェクトを進められるんです」 ウィスタリアの解説にどよめきがおこる。 その説明は素人でもわかるように専門的なことは極力そぎ落とし、単純明快に仕立てられていたため、この手の頭を使う話に縁のないシュラとてなんとなく言いたいことはわかった。だが、果たしてそれが現実的に進められる計画なのかどうか、にわかには信じられない内容なのだ。 この男は、人類の転生そのものをIICRがそっくりそのまま人工的にやってみせると言ってのけたのだ。 確かにそれができるのなら、現在主軸で行っている未知の転生領域──セラの浮かぶ煉獄のさらに上の階層へ手を出し、そこの不都合を除去するという気の遠くなるような行程をしないで済むこととなる。 このゼロがいくつ並んでいるのかわからない予算の申請はこういうことだったかと、シュラは丸めたレジュメでガリガリと頭を掻いた。 「材料とはなんなんだ」 「どこでどうやって調達する。その人選はどうする」 クラウン達から幾つもの野次だか質問だかわからない声が飛ぶ。 「材料は主に深層のセラ領域で調達できるはずです。人選はその都度セラや材料に応じて、我々研究局アクシスチームが適した種を選び、各コードファミリーへ要請を外注するつもりです」 その回答に再びざわめきが起こる。 深層セラ領域と言えば煉獄の中心部に位置する最も力場の強い領域のことだ。基本そこに浮かぶどのセラも鍵付きであり、入ることはおろか、入ったら二度と出ることもままならない。そこへ落ちてくる人間のアルマすらその重力に捕らわれ戻れなくなり、狂気に駆られたセラ生命体として取り込まれていく。セラ自体も特殊な構造のものがほとんどで、そこに住まう生物たちは常識では測れない凶悪なものばかりだ。 一言で言えば「絶対に行きたくない」につきる。 そしてこの手の荒事を請け負わされがちな種は決まっており、戦闘に特化した種のクラウン達は皆そろって渋い顔である。 シュラも思わず「うへぇ」と舌を突き出して天井を仰いでいた。 間違いなくカウナーツにもそのお鉢は回ってきそうだ。 「この話は現在長老会にて審議中となっておるが──、その性質上この第二級理事会での告知がもっとも適切との意見が出て今日の議題とあいなった。皆よく考え、次回の理事会の折に決議を仰ぎたいと思うが、それでよいか」 ウィスタリアが席に着くとノース・シーがそのような言葉でまとめる。 何が決議を仰ぐだ──と、シュラは溜息をついた。これはもう決定事項なのだろう。そうでなければこれほど荒唐無稽な話を第二級理事会に持ち出したりはしないはずだ。 「さて。次の議題じゃ。セラ・テロ対策特別局設立についてじゃが──、まずはその前にイザ・ラシャから皆に告知があるそうじゃ」 指名を受け、シュラの向かいに座していた若者が立ち上がる。 肉体年齢的には二十三歳と聞いている。艶やかな黒髪はさらさらとした見事なまでの直毛だが邪魔にならない程度に無造作にカットされ、背中に向けて一房のみ長く垂らされている。長めの前髪の向こうから覗く瞳は深く鮮やかな翠で、白い肌、精緻な顔の作りと相まって人形のような無機質さを見るものに与える。 ただそれが女性的にならないのは彼の体格がしっかりとした男のものであり、身長も優に百七十センチ台後半くらいはあるせいだ。なによりそのまなざしが鋭い。 いや、目つきが悪いと言った方がいいんじゃないかというくらい、イザ・ラシャという男はつねにムッツリと機嫌が悪そうだ。 シドがカラークラウンを剥奪された折、まだ十六歳そこそこだった彼が新たなイザのクラウンとして任命された。確かに出来る男であり、能力値もシドに次ぐ高位のものであることは周知されていたが、それでもその抜擢はIICR中を驚かせたものだ。 肉体年齢が若いと言うことはさほど問題ではない。 一番の驚きは、彼がまた転生3回目という若輩であり、IICRの入構試験に受かってからは一度しか転生を積んでいないという事実だ。 シュラが言うのもなんだが、カラークラウンとはソムニア各コードにおける頂点である。それをほぼIICRに入ったばかりのぺーぺーが、恐ろしいスピードでもぎ取っていったことになる。 ラシャを指名したのはビアンコであり、それに対し他のクラウン達もイザのコードファミリー達もはなんら意見などすることはできなかったが、内心面白く思っていない連中もいたに違いない。 しかしあれから七年。ラシャはイザのコードファミリーの長として仕事をこなすだけでなく、シドの跡を継ぎ諜報局の局長として見事に役割をこなしてきた。 実際シュラやシドの半分以下しか生きていないにもかかわらず、あの海千山千の諜報局を束ねるなどよくやるもんだと感心するほどだ。 ラシャが指名されたとき、イザのクラウンは顔で決められているなどとやっかみ半分の声も飛んだものだが、今ではあまりそんな雑音も聞こえなくなった。 そんなもの実力でねじ伏せる──という根性と負けん気の強さは、一見、氷の王子と呼ばれるほどクールに見えるラシャの本来の性質のようで「のんびり温厚が売りのアイスランド人のくせに短気で喧嘩腰でせっかちで、ちっちゃいキングかよ」と、シドの元副官だったキースがぼやいていたことを覚えている。 「皆様もご承知の通り現在、転生障害が表面化しそれに伴い各国とIICRとの軋轢も深刻な状況となっています」 ラシャが凛とした声で切り出した。 諜報局局長という立場を持つこの男の言葉は、いつ自分たちののど元に突きつけられてもおかしくないという緊張感を常に感じさせ、会議室に集まる一同は声もなく耳をそばだてる。諜報局の情報網は世界各国に張り巡らされているだけではなく、IICR内部にも深く入り込んでいるということを知っているからだ。 その武器を惜しげもなく残酷にチラつかせてきたのが、前イザクラウン、ヴェルミリオという男であり、後ろ暗いところのある者たち全てにシドは死を望まれたと言っても過言ではない。そんなヴェルミリオの直属の後継者・ラシャにも、トラウマに似たような恐怖を覚えるのは道理といえた。 「私、ラシャはイザの長と諜報局局長の二つを同時に担ってきましたが──」 そこで一度ラシャは言葉を切る。 そして何かを決意するように一呼吸すると、こう続けた。 「現状、相当の力不足を感じる事態となりました。3rdラウンドの若輩者である私ではIICRが負うべき責務を全うすることが困難であると感じ、本日をもってイザ・クラウンを降ろさせていただきたいと考えます」 シュラは目を見開いた。 辺りの連中も顔を見合わせざわついている。 若すぎるからしょうがない──、そう思っている輩もいるだろうが、ラシャを知る者──特に煮え湯を飲まされているであろう者たちにとっては俄に信じられない言葉なのだ。 何を企んでいる──? そう鋭い眼光でラシャの麗身をにらみ据える者たちの姿を、シュラは数人捕らえていた。 「本気なんだろうか? 彼、がんばっていたと思うが。それにイザクラウンの後継者なんて他にいるのか?」 曇った顔でこちらに声を掛けてきたインカは明らかに事情をわかっていない、善良な前者の部類に入る人間だろう。 「さぁ、な。副官のジョーイかフランツあたりじゃねぇの?」 「彼らはキャリアこそあれ、能力面で不安があるだろう」 武力局局長を務めるインカは、やたら各構成員の能力値について詳しい。良い人材があればいつでも武力局に引き抜こうとするまじめ男だ。彼が言うのであれば、今現在ラシャをしのぐほどのイザはIICRには存在していないと言うことになる。 「そして、時期イザクラウンとして私が指名するのは──」 再び辺りが静まりかえった。 「シド・クライヴ──。……前クラウンであるヴェルミリオをイザの長として再召還したいと考えます」 一刻の静寂。 そして、怒号──。 何人もの男達が立ち上がり、批難の声を上げていた。 中には先ほど配られたレジュメをラシャに向け投げつける者たちも現れる。 「馬鹿なっ! そんなこと、許されるはずがない!」 「ヤツは追放された身分だっ、IICRの内紛をたくらんだ政治犯だ! 戻されるわけがない」 「これだからガキはっ、組織というのはそんなものじゃないんだっ!!!」 半数以上──、いや、ほとんどの者が立ち上がり、ありえない、ふざけるなを連呼する。 黙ったまま座っているのはシュラを始め、インカ、プラム、プラチナなどほんの一握りの人間だけだ。 実際シュラもあまりの驚きで思わず椅子から転げ落ちそうになったくらいだ。 ラシャの考えがまるでわからない。たとえシドの追放が実際はビアンコの企んだフェイクだったとしても、建前上は追放となっている現状が変わることはなく、こんな場所で根回しもなく決を仰いでも賛成の者など片手以下の人数しかいないだろう。 投げつけられるレジュメやミネラルウォーターのペットボトルを無言でたたき落としながら、それでもラシャは表情を変えない。 「皆さんのお怒りはもっともだと思います。が──、現実問題、今IICRは完全な人材不足です。そこに使えるソムニアがいるのであれば使う。たいしたことのない過去などにかまうことなく、人類の未来のために我慢を覚える。これが現状を打破する一つの道だと思いますが」 ──煽ってどうする。 ラシャの言葉に周囲はますます怒号の渦に巻き込まれ、シュラはがっくりとうなだれた。 あんな無表情に見えて本当は自分に掛けられる野次にめちゃくちゃ腹を立てているに違いない。 イザの血筋はあんなのばかりかと思うと、よその種のことながら気の毒になってくる。 見回せば、イェーラやソヴィロ、フェフなどといった去年の事件に関わったコードたちのクラウンは、先陣を切ってラシャを責め立てているようだ。 無理もないとは思う。あの事件は亮に関わるものだったし、その亮はシドの持ち物という触れ込みでセブンスにやってきていた。 元々シドとは仲の悪かったクラウン達だったが、あの事件に関わることである者は転生刑、ある者は行方不明、そしてある者は蒸散刑という末路をたどることになったのだ。完全な逆恨みとはいえ彼らにとってヴェルミリオという名は耳にするのもおぞましいほど、忌避すべきものなのだろう。 他に騒ぎ立てているのはライドゥホやトゥリザーツのクラウン達だ。 彼らは亮のセブンス時代のゲストだったなと、シュラは苦虫を噛み潰したように片目をつぶった。 転生刑になった連中ほどの無茶はしなかったまでも、亮の所に通っていたクラウンは他にも何人かいる。 亮はここでは死んだことになっている。 自分たちもその亮に関わっていたことをシドに知られた時、どんな報復を下されるか──、そう考えるだけで穏やかな気持ちでは居られないに違いない。 皆それぞれ胸に思う理由は違えども、全員が同じようにシドを恐れ、憎んでいるのだ。 「静粛にっ。静粛に!」 ノース・シーが愛用の木槌を鳴らし、辺りを鎮めようと声を張り上げる。 だが混乱は収まることがない。 「取り消せ!」「こんな会議は出る意味がない!」「イザのコードファミリー自体に懲罰を与えろ!」 投げつけられる言葉もどんどんとエスカレートし、一種暴動に似た状況にまで陥っていく。 「ジオット! どうする!? 制圧するか──」 飛び交うペットボトルを指先で弾き落としながら、インカが困惑気味に意見を求めてくる。 通常ならばこの状況は武力局の出番だ。だがここは理事会である。管轄は理事会実行室であり、取り締まるべき相手は全てがカラークラウンもしくは要職にある者たちである。なんの要請もないまま勝手に制圧しては後々問題が起きてくる可能性もある。 「気がすすまねぇが、ノース・シーの爺さんくらいはガードしてやんねぇと──」 「そうだな。リアルだから室内が壊滅するほどにはならないが、文官達にとって危険な状況であることは確かだ」 ペットボトルで死亡しそうなノース・シーを助けるべく、シュラ達が立ち上がったその時だ。 ガンッ── と一際大きな音が室内にこだました。 何かを叩き折ったかのような鈍い音に、一瞬辺りの動きが止まり、視線が一点に集中する。 そこはラシャのいるイザ席の隣。 いつの間にか一人の男がそこへ立ち、腕を組んだまま周囲を睥睨していた。 彼の足は一歩前に出ており、目の前のデスクは無惨な姿でまっぷたつに折られている。 どうやらかの男の足が踏み抜いたらしい。とんでもなく足癖が悪い。 「やかましい。理事会中だぞ」 190センチを超える長身。燃えるような朱い髪。均整の取れた分厚い体つきにぞくりとするほど整った顔。 ここにいる半数以上から嫌われた男が当たり前の顔をしてそう言い放った。 「ヴェルミリオ……」 誰かがその名を呟いた。 だがそこから声が続かない。 あれほどシド憎しを吐き出していた連中の誰一人として、動けなくなっていた。 まさかここに本人が来るとは思っても居なかったのだろう。実際実物を目の当たりにすると、その驚きと戸惑いでなんのアクションも起こせなくなる。──そういう類の有無を言わせぬオーラをこの男はビンビンと放っていた。 「遅いじゃないか! おまえはいつも遅刻じゃな、まったく──そのせいで理事会が大荒れじゃわ!」 木槌を叩きまくり説教するノース・シーだけがいつものペースだ。 どうやら「一人を除いて全員そろった」と彼が会の始まりに呟いていた一人とは、ビアンコのことではなくこの男、シド・クライヴのことだったらしい。 ということは、ラシャがクラウンを降りシドへ王冠を渡すという話は「提案」レベルではなくすでに決定された「報告」だったのだろう。 これはもういくら議会が荒れようと恐らく覆ることはない。 「俺が戻ることに異議のある奴らは多いだろうが、すでにビアンコの承認は受けている。仲良くやっていこう」 欠片も思ってもいないことを口にすると、シドはどっかりと椅子に腰を下ろした。目の前のデスクはぶっ壊れたままだ。ふてぶてしいことこの上ない。 「第二議題であるセラ・テロ対策特別局についてじゃが──、ここにおるヴェルミリオに局長を一任する構えじゃ。諜報局の局長は引き続きラシャ──、いや、返上したんじゃから名前で呼ばんといかんの。イザのハルフレズ・ユーリィ・ビョルンソンに任せようと思っておる」 ノース・シーの言葉に、少し場の空気がゆるんだ。 シドが諜報局に戻らないということがどれほど重要なことか、どうでもいいシュラにもなんとなくはわかる。 「テロ対策特別局の人員は、追って各コードファミリーに希望の構成員名を通達するつもりだ。他に仕事を抱えていようとも最優先でうちへ回せ」 その言い方に再びざわつき始めた場内に、ノース・シーの木槌の音が響く。 「これも決定事項じゃ! ビアンコの計画ゆえまぁ覆らんと思ってもらって結構。この無礼な男も7年の時を経てとりあえず禊ぎも終わったと判断されたわけじゃし、最も過酷になりそうな局の責任者を負うことにもなった。皆もあまりカリカリせず、この危急の時一丸となって事に当たってもらいたい。以上。本日は解散じゃ!」 さっさとこの場を引き払いたいノース・シーは早口でまくし立てるとあっという間に席を後にする。去り際シドの頭を一発げんこつで小突いたのは遅刻への罰なのかもしれない。 「……あの野郎、いつの間にこんなことになってやがった。亮ほっぽってどういうつもりだ……」 呟くシュラの方をちらりと見ることもせず、シドは立ち上がると未だざわつく大会議室の出口へと歩いていく。 その後にはハルフレズが。そしてそれを追い抜くようにシドへと駆け寄るプラチナの姿が続く。 「おい、インカ、俺たちも」 状況問いただしに行ってやろうぜ──とインカの方を向いたシュラはその後を続けず、無言で部屋を出ることにした。 インカの目は捨てられた子犬のようになっていて、何も言葉を掛けることができなかったからだ。 大きいとこから小さいとこまでかき回しすぎだと、シュラはゲッソリした面持ちで扉を出た。 ノックもそこそこに部屋に飛び込むと、イザの執務室には見知った顔がいて、何人かがこちらへと振り返る。 中央の応接セットにここの副官であるジョーイとフランツが。奥に置かれた重厚なデスクの前にハルフレズとキース、そしてなぜかラグーツ種のルキ・テ・ギアが立っている。 五人いても執務室はずいぶんと広く感じ、シュラは片眉を上げた。 左手に本棚、右手には副官のための机と隣室への扉──。作りとしてはどの執務室も同じはずなのだが、妙に広く感じるのは恐ろしいくらいに無駄なものが置かれておらず、全てが整然と片付いているからだろう。 カウナーツの執務室ももう少し片付けねばと、こんなときなのに反省の心が芽生えてしまう。 「あれ、ジオット。珍しいっすね」 応接セットのソファーにだらしなく座っていた三十代半ば、褐色の肌をした男が身を起こしながらシュラに声を掛けてきた。ドレッドヘアを揺らしながら立ち上がると、向かいで書類に目を通していたらしい同年代の男も立ち上がる。白人のこの男はいつもならきっちりちとセットされた髪にガシガシと指先を入れ、溜息混じりに振り返る。そこそこ整った顔をしているのにいつも疲れた様子で目の下に隈なんかを作っているのは苦労性な性格とこの職場環境がそうさせているのだろう。そう思うと、そのうちこの男の胃には穴でも開くんじゃないかと気の毒になってくる。 「ボスならいませんよ。どこに何の用があるんだか、ここへ戻ることもなく消えてしまったそうで」 困ったもんです──と肩をすくめながら先ほど配られたレジュメをテーブルへと置いたこの男がフランツで、あくびをしながらこちらへと歩んでくるドレッドヘアの男がジョーイだ。ジョーイは獄卒対策部の所属であり、シュラ直属の部下である。フランツの方はというとたしか財務だか法務だかの小難しい局に籍を置いていると、シュラは以前ジョーイに聞いたことがある。 「ったく、なんなんだ、あいつは。こんな常識ぶっ壊すような真似するなら事前になんか言っとけっていうんだ。渡世の義理を知らん男だまったく」 そんなものがあの男にあるわけがないと自分自身でつっこみを入れながらも、思わずシュラの口からはグチが零れてしまう。 「ラシャ──、……ハルフレズは事情を知ってんだろ?」 「今は取り込み中で無理っすよ。出直した方がいいかも」 ジョーイが親指を立てちらっとそちらを指させば、フランツも生ぬるい笑顔を浮かべて肩をすくめて見せた。 見ればデスクの前に突っ立ったまま、ハルフレズと黒髪ショートで小柄な少女が何やらもめているようだ。 少女の名はルキ・テ・ギア。ラグーツ種で転生3回目。獄卒対策部、部員。IICRへ入構してからは1度しか転生を経ていない、ハルフレズと同じくかなりの若者だ。話に寄れば入構試験も同じだったようで、二人は珍しいことに完全なる同期であるといえる。童顔で小柄でとても成人しているようには見えないが、肉体年齢はシュラと同じ26歳だそうだ。が──、職務上毎日顔を合わせているシュラとしてもその話は信じられないといつも思う。 あの無愛想で負けん気の強いハルフレズと、ラグーツ能力はピカイチだが気弱で引っ込み思案のルキが揉めても勝負にならないんじゃないかと思ったのだが、様子を見ればそうでもないらしい。 どちらかといえば押されているのは前カラークラウンである氷の王子様の方に見える。 「もういいだろ。終わったことだ」 「そりゃそうかもしれないけどっ。でも、言い方ってものがあるよ! フレズくんが仕事キツイからクラウン返上しただなんて、あるわけないのにっ、それなのにそんな言い方させるシドさんはおかしいよっ!」 「あれはヴェルミリオが言わせたことじゃない。もっと上からの話で──」 「もっと上って誰? 長老会? ノース・シー? ビアンコ様?」 「だったらどうすんだよ。どうにもならねぇだろ?」 「ボク取り消してもらいに行ってくる!」 くるりときびすを返し前も見ずに駆けだしたルキの身体が、シュラの胸へと体当たりをかましてくる。 思った以上の勢いにたたらを踏んでそれを抱き留めると、「おいおい、前見ろよ馬鹿力」と苦笑混じりに声を掛けた。 「なに揉めてんだ。いつも仲良しのおまえらが珍しいじゃねぇか」 はっとこちらを見上げた大きな黒い瞳に思わず父性が湧き出して、シュラはくしゃくしゃとルキの柔らかな髪をかき回した。 「ジオット──。あ、あの、理事会でフレズくんが言ったのは違うくて──っ」 言いかけてルキの言葉が止まる。背後からハルフレズがルキの腕を掴んで自分の元へ引っ張り戻したのだ。 「別に仲良くなんかありませんよ」 と言いながらすっぽりその小柄な身体を腕の中に納め、シュラの目から隠してしまっているのはどういうことだと突っ込みたい。 「こいつとは同期で腐れ縁のライバルってだけです」 「そ、そうです!」 腕の中からも抗議の声が聞こえた。 言葉と行動の整合性がまるでとれていない二人だ。 「わかったわかった。そういうことにしとくわ」 胸が甘酸っぱすぎて酔いそうだとシュラは苦笑した。 確かにこの二人は出会った頃からそういう関係で特にハルフレズはルキに並々ならぬ競争心を持っていたようだが、どうもつい先日辺りから様子が変わってきたらしいと獄卒対策部のなかでもちょっとした話題となっている。 ルキが同期の主席入構を果たしたハルフレズに強い憧れを持っているのは有名すぎるほど有名だったが、そんなルキを常に鬱陶しそうに避けていたハルフレズがやたらと彼に絡むようになったというのだ。主にジョーイからの情報リークであるが、獄卒対策部ではこの若者二人を生暖かくウォッチングする会などというものも立ち上げられ、暗い話題の多い昨今、珍しく楽しいネタに皆ニヤニヤが止まらないらしい。 「それで、何の用ですか? 今回のクラウン交代については俺の口からは理事会以上のことは言えませんが」 そう言ってぎろりと睨み上げるハルフレズの翠眼は、先ほどまでルキに向けられていたものと同じ眼とは思えないほど無機的で冷え切っている。 俺、そんなに嫌われるようなことしたかね──と溜息が出そうだ。 「なるほど。ま、そうだわな。シドが復帰するなんざ、ビアンコ辺りが出張ってこねぇと成り立つ話じゃねぇ。あのバカがいなきゃ他を当たるしかねーか」 「ジオット。ジオット」 不意に随分下の位置から甲高い声が聞こえシュラは視線を下げる。そこには赤毛の幼児がルキのジーンズにしがみつくように立っていた。 「あ、キースのおっさん。いたんだっけな」 姿が小さすぎて全く視界に入ってこなかった。 こんなナリをしているが、こう見えてシュラよりずいぶんと年上の男だ。 「ちょっと煙草、つきあえよ」 「……かまわねぇが、あんたはチョコシガレットにしとけよ」 「はぁ〜、早く大人になりてぇなぁ」 両手を挙げてぐっと伸びをする動きをしてみせると、キースはオヤジ臭くこきこきと首をひねり、ついでに上げた両手をある場所へ押し当てワキワキと動かした。 「ひゃぁっっっっっ!!!」 とたんに胸を押さえたルキが真っ赤な顔で飛び退る。 辺りが凍り付き、ただ一人だらしない顔で鼻の下を伸ばした幼児が、両手の平を頬に当てなにやら酔いしれていた。 「ルキちゃん男の子の時も可愛いのに、女の子になるとこんなおっぱい成長しちゃて、切替型の転生なんて反則だぜ。ハルのくせにうらやまし過ぎるぜこんチクショ……」 最後まで言葉を言うこともなく、キースの小さな身体が炎を吹きそうな勢いで室内をすっ飛び、轟音を立てて重厚な木製扉に叩き付けられる。 その髪の毛はバリバリに凍り付き、身体が床に落下すると共に哀しい音を立てて空気に散っていった。 「今日から喫煙室で暮らせっ」 人間一人を投げきったモーションのまま、ハルフレズの口から恐ろしく低い声が漏れる。 「……じゃ、邪魔したな」 シュラは片手を上げてとりあえず挨拶をすると、ドアの下で動かなくなっている坊主頭の幼児を抱えて急速に気温の下がる執務室を後にした。 とりあえず自分の髪は無事で良かったとしみじみ思うシュラだった。 |