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(もうっ、もう、もうだめだっ、こんなの、こんなの……どうすればいいんだよっ!) 体育館から飛び出した亮は、胸に着替えの体操服を抱きしめてひたすらダッシュするしかない。 控え室で着替えようと思ったのに、カーテンルームの中には人が居てムリだった。 とにかく誰も居ない場所に逃げたくて、その場に出されていた自分の服を抱きしめて飛び出してきたというわけである。 日差しの眩しい昼下がりの午後、外には思いのほか人影はなかった。体育館にほぼ全校生徒が集まっているためだろう。 だが今の亮の格好と言えば、ミニスカートの妖精さんルックである。 人気がないからといって外で突っ立っていられる状態ではない。亮はとにかく暗い方へ暗い方へ走っていく。 渡り廊下を抜け、一番初めに目に入った校舎へ飛込み、一番奥まった薄暗がりの教室へと転がり込む。 それでも安心できず、その教室のさらに奥――、小さな扉を開けると後ろ手にバタンと扉を閉めていた。 肩で息を切らしながら見回せば、中央には大きな黒塗りの机。それを取り囲むように大小様々なガラス瓶が並び、中に満たされた液体の中には白くむくんだような生物のなれの果てが浮かんでいる。 重々しく閉じられたカーテンの隙間から差し込む光の帯が、室内をゆらゆらと照らし出していた。 旧校舎の理科準備室――、そう亮の脳裏に場所の情報が浮かぶ前に、亮は部屋に駆け込むと、テーブルの上に手にした着替えを広げ始める。 (とにかく着替えて、それから、それから、寮に戻って、…………それから……) 混乱した頭でどうしようもない今後の予定を組みながら、亮がドレスの裾に手を掛けたときである。 バタン―― 背後で大きな音がした。 ビクッと目に見えて肩をすくめ振り返れば、そこには―― 「……なにを考えているんだ、おまえはっ!」 煉瓦色の髪を無造作に束ねた長身のイギリス人講師が、冷徹な表情に怒りの色をあらわにして立っていた。 「っ――!! シ……」 言いかけた亮は散らかった体操服を後ろ手にかき寄せると、自分の身体を隠すように抱きしめる。 「こ……これは……。仕方なかったんだっ、だって、成り行きっていうか、俺にだって俺の生活があるっていうか……」 もごもごといいわけを口にしつつ、じりじりと後ずさる。 しかし背後のテーブルが腰の辺りを押し返し、それ以上逃げ場がないことを亮に告げる。 「・・・・・・おまえは成り行きで、羽根が生えるのか。なんだ、それは」 冷めた眼差しで見下ろすシドに、亮は満面に朱をのぼらせ引き結んだ唇を震わせるしかない。 シドにこの『恥ずかしい格好』を見られたという屈辱感が、今さらながらに亮をザクザクと突き刺していく。 シドの冷たい視線が痛い。恥ずかしすぎて、今すぐ泡になって消えて無くなりたい。 「ぅ……、だって、だって…………」 「だって、なんだ。おまえはすぐにだって、だってだ」 「ぅ……ぅぅぅううっ……」 「また転校するつもりか。それとも、今度こそ、学校をやめるか!?」 その時――亮の中で何かがプツリと切れる音がした。 「ぃ……イヤだ! オレはもう逃げないっ! なんだよ、いっつもいっつも勝手にシドが決めて! オレだって好きでこんなの着てんじゃねーしっ。シドの仕事の邪魔にならないように、オレだってオレだって色々考えて努力してんのに、いっつもいっつもシドは怒ってばっかりで……、オレは悪くないっ。悪いのはシドだっ!」 「……俺の何が悪いんだ。言ってみろ」 「し……シドがあんなとこに居るのが悪いんだっ! シドが居なけりゃ、オレだってもっとうまく騒ぎを起こさないやり方が出来たんだっ。なにミスコンなんかに来てんだよっ! 女子高生目当てかっ!? エロっ、変態っ、ムッツリスケベっ、ロリコンっ!」 究極の恥ずかしさと圧倒的に言い訳のしようがない立場に、亮のあまり出来の良くない脳みそが下した判断は『逆ギレ』だった。そうでもしないと、この悲惨な状況に亮の精神が耐えられそうもない。 「……くそっ、出てけよっ! さっさと鼻の下伸ばして女の子眺めに行けばいいだろっ!」 指先まで真っ赤になりながら吠え掛かる亮の様子に、シドは眉一つ動かさない。 「まったく話にならんな」 全身から不穏なオーラを立ち上らせ、英会話講師は後ろ手にガチャンと鍵を下ろすと無遠慮な足取りで近づいてくる。 亮は怯んだように後ずさろうとするが、テーブルに突っかかって身動きがとれない。 「……ぅ……。来んなよっ。エロ教師! 横暴魔人! 極悪人! オレは転校なんかしないからなっ!」 抱えていた体操服や短パンを投げつけながら、亮は必死の抵抗を試みる。 しかしそんなものが足止めになるはずもなく、あえなく「男子高校生のティンカーベル」は振り上げた細い手首を「赤い髪のフック船長」に捕らえられていた。 「っつ……、痛い、放せ!」 「黙れ、バカガキ」 腕を後ろ手に捻り上げられると、亮は黒い耐熱性のデスクの上にガツンと押しつけられていた。 (まったく……あのバカは何を考えているっ) 体操服を抱え、超スピードで走り去っていく妖精の背後を追いながら、シドは何度目かの舌打ちをした。体育館の外には人影が無く、彼らに注目する者は誰も居ない。 (あの久我とかいう生徒が亮の名を出さなかったのがせめてもだったが……) それにしても迂闊過ぎるとシドは溜息を禁じ得ない。 日頃の亮とのギャップがあまりに激しく、あの金髪女装の衝撃がかえって亮の正体を隠したらしいことは不幸中の幸いとしか言えなかった。 姿の消えたティンカーベルは、どうやら旧校舎の一番奥まった理科室へと逃げ込んだようである。 廊下に点々と落ちた靴下やらタンクトップやらが、行き先を如実に示していた。 どうやらシドにこの事態を見つかって、完全にパニックに陥っているらしい。 いちいちそれを拾い集めながら、シドはその埃っぽい部屋のドアを開ける。 果たして――妖精は薄暗い錬金術室のような部屋の真ん中で、怯えたように振り返っていた。 「……なにを考えているんだ、おまえはっ!」 開口一番、思わず、怒鳴りつけてしまう。 それほどに近くで見た亮の格好は無防備で隙だらけだった。 ぎりぎりまで晒された胸元も、大盤振る舞いのすんなりとした足も、微かに震える白く細い肩も、「おいしく召し上がれ」と全力でアピールしているとしか思えない。 「っ――!! シ……」 それでも亮はこの格好に羞恥を覚えているらしい。後ろ手に散らかった体操服を拾い上げると、自分の身体を隠すように抱きしめていた。 「こ……これは……。仕方なかったんだっ、だって、成り行きで……」 もごもごといいわけを口にしつつ、じりじりと後ずさる。 シドの中にいい知れない怒りが湧き上がる。 こいつはどうして自分のゲボとしての能力を理解しきれないのか――。これがシャルルを初め他のゲボたちとの決定的な差なのだ。要するに、亮は「自分が他者に対していかに欲望を煽る存在であるか」を、理解しきれていないのである。 今も、シドに追い詰められた亮は、自分が絶賛ゲボ能力解放中であることにまるで気付いていない。 この一年、数々の男達に酷い目にあわされてきてなお、以前のままの感覚を保ち続けられる亮の無垢さに、シドの口から溜息が漏れる。 「・・・・・・おまえは成り行きで、羽根が生えるのか。なんだ、それは」 見る見る、面白いほどに亮の全身が赤く染まっていく。 どう見ても意に沿っていないであろう「妖精の格好」を揶揄され、亮の羞恥はMAXに達してしまっているらしい。 「ぅ……、だって、だって…………」 「だって、なんだ。おまえはすぐにだって、だってだ」 「ぅ……ぅぅぅううっ……」 何とか言い訳しようと無い知恵を絞り出している少年に対し、 「また転校するつもりか。それとも、今度こそ、学校をやめるか!?」 シドは少し、脅すつもりでそう言ってやった。 今度のような不用意なことを続ければ、それもやむを得ないという警告のつもりであった。 だが―― 「ぃ……イヤだ! オレはもう逃げないっ! なんだよ、いっつもいっつも勝手にシドが決めて! オレだって好きでこんなの着てんじゃねーよっ。シドの仕事の邪魔にならないように、オレだって……オレだって色々考えて努力してんのに、いっつもいっつもシドは怒ってばっかりで……、オレは悪くないっ。悪いのはシドだっ!」 予想以上に亮の反抗は凄まじかった。 亮は羞恥に全身を染めたまま、理屈も道理もメチャクチャに、全力で噛みついてきたのである。 「……俺の何が悪いんだ。言ってみろ」 「し……シドがあんなとこに居るのが悪いんだろっ!? シドが居なけりゃ、オレだってもっとうまく騒ぎを起こさないやり方が出来たんだっ。なにミスコンなんかに来てんだよっ! 女子高生目当てかっ!?」 亮の反撃は、明らかに明後日の方向へと逸れていく。もう自分でも何を言っているのかわかっていないに違いない。 (…………逆ギレ……というヤツか。なるほど) 「エロっ、変態っ、ムッツリスケベっ、ロリコンっ!」 「・・・・・・。」 シドの中でプツリと何かが弾けていた。 手にした亮の靴下やタンクトップをその場に放り投げる。 「……くそっ、出てけよっ! さっさと鼻の下伸ばして女の子眺めに行けばいいだろっ!」 指先まで真っ赤になりながら吠え掛かる亮の様子に、シドは眉一つ動かさない。 「まったく話にならんな」 全身から不穏なオーラを立ち上らせ、シドは後ろ手にガチャンと鍵を下ろすと無遠慮な足取りで近づいていく。 亮は怯んだように後ずさろうとするが、テーブルに突っかかって身動きがとれない。 「……ぅ……。来んなよっ。エロ教師! 横暴魔人! 極悪人! オレは転校なんかしないからなっ!」 抱えていた体操服や短パンを投げつけながら、亮は必死の抵抗を試みる。 しかしそんなものが足止めになるはずもなく、あえなくティンカーベルが振り上げた細い手首はシドの大きな手に捕らえられることとなっていた。 「っつ……、痛い、放せ!」 「黙れ、バカガキ」 抵抗する細い腕を軽く後ろ手に捻り上げてやると、シドはデスクの上に妖精の小さな身体をガツンと押しつけていた。 「触んなっ……!」 それでももがく妖精を身体で押さえ込むと、シドの手が羽根をむしり取るように引き下げられる。 チューブトップのワンピースはあっさりとずり下げられ、陶器のように滑らかな背中が現れていた。カーテンの隙間から差し込む淡い光の帯に、それは白く浮かび上がって見えた。 「なにすんだよ、変態っ!」 背中越しに振り返った亮の瞳には、恐怖ではなく怒りの色が濃い。それを確認すると、シドは少々意地悪く口の端を引き上げた。 「おまえ、この珍妙な衣装を気に入っているようだからな。ムリにでも着替えさせてやるのが保護者の優しさだ」 冷たい口調でバカにされ、その一言で亮の全身が再び真っ赤に染まっていく。 「ば……、こ、こんなの気に入るかあぁっ!」 どうにか自由になった右腕で、亮は自らの金髪ウィッグを鷲づかみすると、怒り任せに放り投げる。 艶やかな黒髪が、ふわりと白いうなじに落ちた。 「それに、着替えなら一人でできる……っ」 不意にするりと――シドの冷たい手が亮の胸元に忍び込み、肩口から頬を寄せられる。 端麗な面差しが普段は掛けない眼鏡を掛けて、すぐそばにあった。 背中抱きにされた亮はぞくりと身を竦ませる。 「亮。おまえは本当に反省なしだな」 そう溜息混じりに言われた言葉には、言葉以上に色々な意味が含まれていそうだった。しかし、亮にその辺りの機微を悟る頭はない。 「反省ならしてるっ」 「どう反省してる」 「……どうって……、も、もう、こんなカッコしない……とか……」 「……とか?」 「大勢の前に出ない……とか……」 「…………ダメだな。根本がまるでわかっていない」 諦めたようにシドは息を吐き、小さく肩をすくめたようだった。 その態度になぜか亮は焦ったように言い募る。 「な……、何がダメなんだよっ。おまえの言ってること、わかんねぇよっ……、ふぁ……」 シドの右手が、露わになった亮の白い胸を撫で、柔らかな桜色の飾りをかすめていた。 「じゃあ早くわかるようになるんだな」 「なんだよそれ、ちゃんと口で言えよっ! ぁ……、ゃ……」 脇腹、おへそ、うなじ――。 確かに触れるわけでもなく――。しかし亮の敏感な部分を故意に煽るようにシドの大きな手や吐息が、脱がすそばから滑っていく。亮はその冷えた感触に、ぞくぞくと身をすくめた。 「おまえは口で言ってもわからんだろうが」 「そ……んなこと……ない……、んっ……、……ひぁっ!」 ドレスの裾から入り込んだ指先が、亮のものを不意に強くこすり上げた。 背後から体重を掛けられたまま、びくんと亮の身体が跳ね上がる。 「説教されてる最中だってのに、これか。エロガキ」 冷徹な声でそう言われ、亮の頬が赤く染まる。 「おまえが、変なとこ、さ、触るからだろ、エロ教師!」 「俺は着替えさせてやってるだけだが?」 「っ、き……着替えなら自分でするって、さっきから言ってる……ぃぅっ、んぁ……」 「じゃあ、もう手伝いはいらないんだな?」 のし掛かられたまま、ゆっくりとドレスの中で悪戯されて、亮は言葉の先が出てこない。 ただ目を閉じて嫌々を繰り返すのが精一杯だ。 二週間前、マンションでしたシドとのことが、ぐるぐると亮の脳裏を巡りだしていた。その時の気の遠くなるような快感と充足感。そして圧倒的な幸福感――それらを再び感じたい欲望が、熱くふつふつと己の中に溢れてくるのがわかる。 不意に――冷たい感触が身体から離れていた。同時に身体に掛かっていたドキドキする重みも消え去る。 亮は反射的に振り返ると、シドの姿を探していた。もうそこにいないような気がして、急に不安になって――。 しかし、その長身はすぐそばで意地の悪い顔をして(表面的には無表情だが)、亮を見下ろしていた。 亮の喉元が一度、コクリと動いた。 「シド……」 「なんだ。さっさと着替えろ」 言いながら無造作に、英会話講師は体操服を亮に投げよこす。頭からバサリとかかったそれから顔を覗かせながら、亮は消え入りそうな声で呟く。 「……やっぱ、ぃる……」 「何がだ」 「……着替えの……手伝い……」 最後の方は、ほとんど聞き取れない程だった。 しかしシドは何も言わずに亮を抱え上げると、テーブルの上に座らせていた。 じっと見つめる琥珀の視線に、亮は桜色に頬を染めたまま次第にうつむいてしまう。 チューブトップのドレスがずり落ちツンと尖った胸元を晒した妖精は、もじもじと無意識に腿をこすり合わせ、体育館シューズを履いた足を益体なく揺らすしかない。 「……一人でできるんじゃなかったのか?」 「でっ、できるけどっ、……背中の、リボン……とか、ひっかかってほどけない……し……」 「……解けたぞ」 シュルリと衣擦れの音を立て、難なく細いリボンはほどかれ、黒のテーブルにわだかまる。 「それに……それに……、ぇと、羽根とか、邪魔で、め、面倒だし……」 そんなもの、一人でどうとでもなるのだと、亮自身わかっている。だが、シドが離れようとする度、新しい要求を言わなくてはと何故か心が逸ってしまう。 「…………まったく……」 その亮の気持ちを亮以上に見越したように、シドは少年を抱き寄せると、背中の羽根を軽く引きちぎり、耳元へ頬を寄せていた。 「あとはなんだ? もう一つだけ聞いてやる」 「…………………………き……」 「……ん?」 「………………きす……も」 「…………」 言葉を返すこともなく、亮の唇にシドは己の唇を与える。 深く口づけ、亮の舌を絡め取りながら、シドの指先は器用に下着を脱がせにかかっていた。 一方その頃体育館では―― 真っ赤なレースクイーンに扮した瑤子が、パラソル片手に颯爽とステージ上に登場し……。 お目当ての英国人講師の姿を、目をかっ開いて探していたのだった。 |