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部屋の中央にはパイプ椅子の間に埋まるようにうずくまる男女。彼らは亮たち三人が部屋へ入ってくると、まるでサバンナの小動物のように顔を上げる。 「戸田さんへ、追加のお客様をお連れしました」 亮が言うと、下着姿の少女は心得たようにうなずいた。 戸田咲妃ははっきりとした顔立ちのなかなかの美少女で、彼女のあられもない姿に亮は思わず視線を逸らす。 顔色一つ変えずにこんな行為を行っているが、彼女も東雲に縛られた人形の一人なのだ。凝視するのは気が引けてしまう。 「それでは、オレはこれで……」 亮はそこで初めて後ろを振り返ると、二人の客に役目を終えた旨を告げ、間をすり抜けるようにドアへと向かう。 耳の奥でドクドクと鼓動がうるさいほどに鳴っていた。相手に気付かれはしまいかと亮は息を詰める。 と――。 「待ちなさい」 オーズの太い腕が、亮の肩をつかんだ。 (来た――) さっき廊下で話していた「設定」とやらが開始されたのだ――と、亮は理解する。 ここからが本番だ。亮は今、己の出来る全てを出し切らなくてはならない。自分で選んだ行動で泣き言など言える道理がない。 ここにシドは助けに来てくれないのだ――。そう自分に言い聞かせる。 「君も残るんだよ、案内係くん。みんなで楽しもうじゃないか」 「……でも、オレはあくまでスタッフで、そういう仕事は言いつかってないので……」 「我々を滞りなく接待するのが君の仕事じゃないのかね? 主宰にクレームを入れてもかまわんのだよ? 案内係のサービスは最悪だったと」 「…………」 「第一男の子がこんな恥じ知らずな格好で学校内をうろついて、案内が仕事ですもなにもないじゃないか」 言われて反射的に亮の頬がかっと赤くなる。 しまったと思ったがもう遅い。 その素直な反応に煽られ、ピラクが舌なめずりをして亮の足に手を伸ばす。 「け……けしからん。実にけしからん係員だ……。まったく破廉恥極まりない……」 太ももの間に潜り込んでくる、ピラクの湿った短い指の感触に、亮の全身が総毛立った。 じりじりと這い昇ってくる熱い手のひら。 「っ……! ゃ、やめろっ……!」 思わず身を捻り相手を突き飛ばすと、よろけるように教室の真ん中へあとずさる。けたたましい音を立て、パイプ椅子が倒れた。 (っ!?) 動いてみて初めてわかった。身体に力がまったく入らない。 「あいたたた……。おいおい、酷いなぁ。僕は客だよ? これはお仕置きする必要があるね」 「ですな。主宰に言われているはずだろう? 客人には絶対服従だと。たとえスタッフだろうと、言われれば案内のついでに奉仕するのが君の仕事だ、ティンクくん」 「……っ、」 二人の男に詰め寄られ、亮はじりじりと距離を取りながら後退するしかない。 東雲のアンズーツが効いているのかとも思ったが、そうではないことが亮にもすぐにわかった。 左腕で己の右腕を押さえ込む。少し触られただけだというのに、震えが止まらなかった。 (どうしよう――) 恐いのだ。眼前の欲望の固まりと化した男たちが、恐くて恐くてたまらないのだ。 こんなはずじゃなかった、と思う。 不意を突かれたワケじゃない、覚悟して臨んだこの場において、セブンスでの行為も、滝沢にされた虐待も、自分の意志で脳裏から消し去ることができると思っていた。 この程度の仕事くらい、やってのけられる自信はあった。 だが、亮の身体は予想以上の拒絶反応を起こし、その肉体的反応が亮の精神を追い詰めていく。 (……くそっ、なんだよ、オレ。なんだよ、オレっ、なんだよ、オレっ!!) 目の前にいるのは、亮が少し本気を出せば簡単に動きを封じることができる、ただの人間である。 それなのに、亮の身体は縮こまり、震えることしか出来ないでいる。 そんな自分が歯がゆくてムカついて、ぶち殺したいほど嫌でたまらない。 「おやおや、反抗的な目だこと。けど……震えてるね。うひふふふ……、ティンクちゃん……、そういうのゾクゾク来るよ。ああもう妄想が具現化して目の前にあるこの良き日! 今日は僕と君が一つになる記念日にしようねぇ」 「心配は要らない。我々は紳士だからね。優しく年長者の格を持って君の過ちを正してやるだけだ……」 瞬間、ヴァイオレットの顔や声がちらつく。 呼吸が上がり、冷たい汗がにじみ始める。 と、背中が硬く冷たい何かに当たった。 いつの間にか亮はグランドビアノの前まで追い詰められていた。 「っ、ゃ……」 オーズの手が亮の柔らかな頬にかかり、伸ばされた舌が首筋を辿っていく。 生臭い息に思わず顔を背ければ、ピラクが亮の足に腕をかけ、スカートの中に鼻先を差し込んで来るのが見えた。 「……っ!」 逃れようと身体をよじるが、二人の男に押さえ込まれまったく自由が利かない。 薄い下着の上から感じる、ピラクの豚のような息づかい。嫌悪感に鳥肌の立った亮の胸元に忍びこもうと、エプロンドレスのボタンを引きちぎるオーズの手。 バラバラと音を立て小さなボタンがいくつか散らばった。 (っ、やばい! 見つかる……) 瞬間亮の脳裏を過ぎったのは、昨日さんざんシドにつけられたあのキスマークのことだった。 こんな危機的状況にあってそんな些細なことが気になってしまう事実に、亮自身戸惑いを覚える。 だが――それをきっかけに、なぜか呪縛でも解けたかのように身体は滑らかさを取り戻し、はだけられた胸元をかき寄せるアクションを起こすことが出来た。 それでもしつこく亮のエプロンをずり落とそうとするオーズの鼻先へ、そのまま流れるような動きで肘を打ち付ける。 オーズは「ぐぶっ」と奇妙なうなり声を上げ、もんどり打って背後に尻餅をついていた。 「ぁ……」 なぜ自分が動けたのか、わからない。 ただ、今朝確認したあの朱い痕を思い出した瞬間、自分が今いる場所も時間も当たり前のように亮の中へ戻ってきたのだ。 ここはセブンスじゃない。亮は亮で、トオル・ナリサカじゃない。そんな言葉にならない実感が手足の隅々まで行き渡り、血の気が戻ってくる。 急に視界が広がり、目の前の景色に色が付いたように見えた。 (大丈夫――、やれる) 深呼吸を一つつくと、驚いたようにこちらを見上げているピラクの顔へ、勢いを付け膝を落とす。 「ぎっ……! いで……、なにすんだよぉぉぉっ!」 顔を上げれば、鼻を押さえ込みゴロゴロと転がるピラクの向こう側で、戸田咲妃が下着姿のまましゃがみ込んでいるのが目に映った。 (……あの子はここから逃がさないと――) 人形のようにされるままでいるしかない少女に、亮の奥の何かが掻き立てられていた。 そばにいる二十代と思われるもう一人の男は、背後から咲妃に腕を回したまま、驚いたように眼を丸くし亮を見つめている。おそらく彼がオーズ達の言っていた「マーシーさん」なのだろう。 まずはあの男を少女から引き離す必要がある。 「っ――、き……、」 亮の口が開かれ、自分で思ったよりもっと威勢の良い音が漏れた。思い切ったように亮はそのまま捲し立てる。 「気安く触ってんじゃねーよ、クソがっ! オレに触りたきゃ、芸の一つでも見せてみろっ」 静まりかえった部屋に、亮の啖呵が凛と響き渡った。 「それからおまえ!」 亮は少女の下着に手を入れたままこちらを眺めていたマーシーを指さす。 「オレがいるのに、女の子触ってんじゃねーよ」 自分で言っておいて、「なんだよこのセリフ……」とは思ったが、他に思いつくこともなく、亮は勢いに任せて言い放つ。 それでもその一言は効果を発揮したらしく、突如指名された青年は、びくんと身体を硬直させると、下を向き、何やらぼそぼそと口の中で呟き始めた。 「……? きこえねー。何言ってんだ」 「ぼ、ボクは、や、安いチケットなので、その、き、キミを、み、見ることしか、できないので、あの……」 「じゃーオレだけ見てろよ」 少し口元を弛めて笑ってみた。 希望としては、シドみたいに嫌味にかっこよくやったつもりだったのだが、青年はどう受け取ったのか、鼻息も荒く「はいっ!!」と立ち上がると下着を脱ぎ始める。 どうやら亮の希望とはかけ離れた捕らえられ方をしたらしい。 「っ、何脱いでんだよ!」 「し、失礼のないように、ちゃんと、準備、整えて、気合い入れて、み、見させていただこうと思って……」 マーシーは内気そうな小声でそれだけ言うと、おずおずと近寄ってきてピアノから少し離れた椅子に腰を下ろした。下半身を露出したままのマスク男がパイプ椅子に座るこの光景は、シュールすぎて、亮は頭痛を覚える。 しかしこの様子なら、どうやらこの男の処置はうまく行ったようだ。 亮はうなずくと、次に部屋の中央で座り込んだままの少女へ声を掛ける。 「……じゃ、……戸田さんは、オレと交代で隣の美術室行って。んでそのまま待機だって先生が言ってたから。客が来なければ、今日はそのまま帰っていいってさ」 確か美術室は現在内装工事中で、今回の会にも使われていないはずである。 咄嗟にそのことを思い出し、亮は思いつくままそう言ってみた。元の教室に戻せばまた客がつくかもしれないし、何よりこの状況を不審に思われる可能性も出てくる。できれば彼女にはどこか人の来ない場所でじっとしていて欲しいのだ。 しかし、果たしてこれで彼女が動いてくれるだろうか。 そんな亮の心配を他所に、戸田咲妃は小さくうなずくと衣服を身につけ、部屋を出て行く。 ほぼ催眠状態に近い彼女には、「先生」という単語が思いのほか効力を発揮したようだった。 少女の姿が部屋から消えると、亮はほっとしたように息を吐く。 これで心おきなく任務遂行に臨めるはずだ。 亮が気持ちも新たに次の手を考え始めたその時――。 鼻を押さえ呻いていたオーズが喉の奥からくつくつと笑い声を漏らし始める。 「くくく……、従業員がそんな勝手なまねをしていいのかい? まるでヒーロー気取りだね、ティンクくん。……しかし……、そんな行動も君が我々を恐れている証拠だ。男が恐いのだろう? 男にいいように触られることに君は嫌悪感を抱いている。そんなに毛を逆立てて威嚇してみても、隠し切れやしない。あんなに震えて顔色も真っ青だったじゃないか。君は本当は、恐くて恐くてしかたないのだろう?」 「っ、ち……」 『違う! 恐くなんかないっ!』咄嗟にそう否定の言葉を口にしようとして、亮は踏みとどまった。 (ダメだ、こんなこと言ったら、認めてるみたいだ――。どうする? どう言う? なんて返せばこいつを黙らせられる?) ふと脳裏にシャルルの顔が過ぎった。 (アイツならきっとこんなヤツら、一瞬で手玉に取っちゃうんだろうな……。すげぇ嫌みなことをすげぇ綺麗な顔で言って、そのうち土下座させちゃうんだきっと――) 自分にはそんなこと無理だ……。そう思いかけそれを己で打ち消す。 確かに自分はシャルルみたいに綺麗じゃない。転生だってまだしてないし、経験値も低い。でも、同じゲボだ。能力値だって同じくらいだと聞いている。――やってやれないことはない。 「ほら、言葉も出ないほど怯えている……。まったく……怖がって噛みつくような悪い子犬には、調教が必要だな」 「いひひ……。オーズさんの調教は痛いよぉ……、ティンクちゃんの可愛い顔が苦痛で歪むの、見れちゃうんだ」 「――っ」 じりじりと詰め寄ってくる二人の手をよけ、亮はピアノへひらりと飛び乗っていた。 まるで重力を感じさせないその動きに、男たちは思わず動きを止めて少年を見上げる。 亮は一つ呼吸を置くと、全身に凝り固まっていた力を瞬間的に強制排除する。 ――オレは、それを、やる。……今、やるんだ。 「間違えんなよ――」 亮の唇が静かな一言を唱えていた。意味が分からず一同は眉をひそめて言葉を止める。 「!?」 「……調教が必要なのは、おまえらの方だ。このド変態どもが」 顎を上げ、腰に手を当て、亮は見下すように視線だけで男たちを眺め降ろしていた。 男たちは瞬きもせずにそれを見上げ、次にぽっかりと口を半開きにする。 亮が覚悟を決めたその瞬間。目には映らない――だが空気を震わせるほどのエネルギーが爆発的に膨れあがっていた。 それは今までの受動的な、生贄としての性的吸引力ではなかった。 他者を屈服させる暴力のような魅了――。一般人が抗うことなど指先一つすら許さない神の贄の宣告――。 その出力にはまだまだ波がありムラも多いが、元から性欲に溺れていた男たちには十分すぎるほどの効果が現れる。 オーズもピラクも息をするのも忘れて、ピアノの上の降臨者を見上げるしかなかった。 ミニの紺ドレスから伸びたすんなりと長い足。襟元の乱れたブラウスから覗く禁断の白い肌。桜色に光る柔らかな唇と、炎を宿したような漆黒の強い瞳。あどけなさを色濃く残しながらも大人へと向かい始めた少年特有の生意気な表情は、たとえ少女のようなドレスをまとっていても、亮を男の子として眩しいほどに輝かせている。 窓から吹き込む初夏の風が、亮の長いウィッグをさらさらと揺らした。 「この中が見たいなら……」 少年の細い指先が、ちらりとスカートの裾をつまみ上げる。 「まずは下手くそな歌でもブーブー歌ってオレを楽しませてみろよ、エロ豚ども」 妖精を疑う透明感と、相対を為すようなあしざまな毒言に、男たちは倒錯的な陶酔感に瞬間我を忘れてしまう。 だがそれでもオーズはどうにか己を取り戻し、怒気に見る見る顔を紅潮させ、腕を伸ばして亮の足を引きずり落とそうとする。 「っ、だっ、だだ、誰に物を言っている!! きっ、貴様、私を――客たる私をぶっ……豚だと!?」 その無骨な手を、亮は黒の華奢な革靴で踏みにじる。 「ぐぎっ!!!ぃぃぃっ!」 それだけの行為で、悲鳴を上げオーズの巨体がもんどりを打つ。 手の甲には人間の数ある弱点の内一つがあり、その一点を突かれれば、人体は強烈な痛みを感じるのだ。亮はそれらのことを、日頃からきっちりシドに教え込まれていた。 肉厚のその手を踏みしめたまま亮は屈み込むと、冷や汗を流して腕を引き抜こうと暴れているオーズの少ない髪の毛をつかんだ。 びくんとオーズの動きが止まる。 「お客様。無断でお触りした罰則です。……これが当店のルールなんで」 顔を覗き込みながら、そっとオーズの顔に張り付いた、臙脂色のマスクをはぎ取る。 現れたのは少し鼻の頭が上を向いた、脂ぎった中年男の顔。 「……なんだ。やっぱ豚じゃん」 オーズの顔が今度は羞恥に赤くなり、亮が足をどかしてやると、咄嗟に両手で顔を隠す。 「な……、な……、返せ……、こんなこと、契約違反だ……、私は金を数千万積んだんだぞ……!? それを……それを……」 「オレのスカートの中が見たいくせに、自分は顔、隠しちゃうんだ。……オレ、そーゆーの嫌いだ。不公平で」 「……、お、オーズさん……」 心配げにおずおずと背後からピラクが声を掛ける。 「こっちに来るな! み、見るな、素性を明かさないのが、ここの鉄則だろうがっ! 返せっ、マスクをっ。か、返さないか、ガキがっ!」 オーズは顔を片手で隠したまま、しゃにむに腕を振り回し、亮を捕らえようとする。しかしそんな攻撃が壇上の亮に通じるはずもなく、野太い腕はむなしく空を切るばかりだ。 ふと、その手を何者かの手が取った。 己で己の目を塞いでいるオーズには見えなかったが、剛力で振り回す腕を容易く止めるには柔らかすぎるその感触に、瞬間びくりと手を引いてしまう。 しかしそれすらも許されず、オーズの手は小さなその手に導かれるように前へと誘われ、ふとその指先に鋭い痛みを感じていた。 続いて感じる暖かな感触。 ぞくりと鳥肌が立ち、思わず指の隙間から見上げれば、己の右手の中指は眼前の少年の唇へと伸び、並びの良い白い歯で囓られている最中であった。 先端にぬるぬると小さな舌先が当たるのを感じる。 「っ――!」 オーズの鼓動が止まるほどに跳ね上がった。 少年は落ちかかる長い髪を片手で耳に掛けながら、オーズの顔を眺める。 間近で見るティンカーベルの素顔は想像を絶して愛くるしい。 その少し微笑んだ口元。そして侮蔑の色がありありと浮かんだ冷たい眼差し――。 「言うこと聞かない豚は食っちまうぞ」 鈴の転がるような透き通る声音が、指先を咥えたままの唇から奏でられた。 オーズは電撃が走ったような衝撃に身を震わせ、だらんと弛緩したように、顔を隠していた左手を降ろしていく。 「はい。おりこうさん」 立ち上がりざまトンと少年はオーズの腕を押した。それだけでオーズはドスンと尻餅をついてしまう。頭の中はぼんやりと煙がかかり、ピアノの上の少年にしか目がいかない。 呼吸が上がり、病気のように喉が渇く。 その渇きを癒してくれるのは、彼だけなのだ。 彼が――あの少年が、欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて気が狂いそうだった。 下半身が今まで自分の知らないほどにいきり立ち、脈打っているのを感じる。 だが、動けない。 なぜなら、彼に許可を得ていないからだ。 彼の言うことを聞かなくては、彼に癒して貰うことはできないからだ。 「おまえもマスク、取れよ」 ぼんやりと見上げるだけになったオーズを良しとすると、亮は次に、ピラクへと声を掛けた。 正直、あんなオヤジの指を囓るのは気色が悪かったが、これでうまくいったとなると、他の連中へも同じような『飴と鞭』作戦で行くのがいいのかも知れない。 今すぐ唾を吐き出したい気持ちを抑え、亮はピラクへと狙いを定めた。 と――。 「とっ……取りますから……」 「?」 マスクに手を掛け、ピラクはふらふらと近寄ってくる。 「取りますから、僕も……、僕も豚って呼んでくださいっ」 「っ!?」 思わずピアノから落ちそうになる亮。 「ぼっ、僕は卑しいショタ豚です。だからティンク様、僕を罵ってください!」 (……ショタ豚? ショタってなんだ? まぁ本人が卑しいって言ってんだから卑しいんだろうけど……) 目を潤ませて近寄ってくるピラクは、すでに自らマスクを取り、脂ぎったまんじゅうのような顔をさらしている。 (ぇっ、嘘だろ……、一言言っただけで自分から顔晒すなんて、こいつ頭おかしいのか……? どうする、どう答えよう? 言ってること意味わかんねーし、うわ、こっち来んな!) よたよたと歩み寄るピラクの手がゾンビのように持ち上がり、亮の足へと伸びる。 咄嗟に亮は汚物でもよけるように、足を引いていた。 表情に隠しきれない嫌悪がにじむ。 それを目にしたピラクは、突如、蒸気機関で動く機械兵のごとく猛然と飛び上がっていた。 あの小太りの身体のどこにそんなパワーが潜んでいたのかわからない。まるで全身から煙を噴くかのごとく手足を動かし、グランドピアノの上へとよじ登ってくる。 動きはバタバタと大きいが、その目は亮一点へ据えられ微動だにしない。興奮で石榴色に染まったその顔が、亮には人間でないように映った。 「ひ……」 そのあまりの勢いにバランスを崩した亮は、喉を引き攣らせ背後へと倒れ込む。 |